ブーン系
食と旅の秋祭り
12
('、`*川二階席のようです
82:名無しさん:2023/10/01(日) 09:28:50 ID:TxWaNXS60
('、`*川二階席のようです
(´・_ゝ・`)「僕、もうじき消えるんだ。」
('、`*川「え…?」
('、`*川「…。」
私は前に向き直り、手に持っていたスプーンでローテーブルに置かれた珈琲ゼリーをすくって、一口食べた。
澄んだ苦味とコーヒーフレッシュのまろやかさが口の中に広がる。
真面目に話を聞く気になって、私は彼の方に顔を向けた。
('、`*川「どういう事?」
(´・_ゝ・`)「ほら、僕ってそういうトシだからさ。」
トシ?…寿命の事だろうか。
('、`*川「そんな風には見えないけど…。」
私と変わらないくらいの年齢に見える。
確かに彼の服装は、この辺りの農家のおじいちゃんが外出の時にお洒落で着るような、ウールの背広だ。
だけど顔色だって、そんなに悪くはなさそうだ。
彼は、深刻そうな顔もせずに窓の外の景色を眺めだした。
私も大きな縦長のコップに入った珈琲ゼリーを食べながら、外の景色を見る。
二階の窓いっぱいに見える林は秋の色で、風に揺れては少しずつ葉を落としている。
夕方の、まだ陽が部屋に射し込む時間帯。
駅からは3km以上も距離があり、車の客しか来ないのか、土曜日だというのにお客さんは途切れて私一人だけ。
そこに彼がやって来て、私が座っていた黒い布製のソファの隣に座り、引っ越すなどとは違う口振りで『消える』と言うのだ。
83:名無しさん:2023/10/01(日) 09:30:13 ID:TxWaNXS60
私がこのカフェに通い始めたのは、半年近く前だ。
本当はもっと前からブックマークをしていたけれど、一度も行った事のない静かそうな場所に誰かを誘うのもどうかと、躊躇していた。
一人でカフェに行くなんて初めてだったけれど、これが大当たりだった。
店は別け隔てなく私を溶け込ませ、穏やかな気持ちにさせた。
むしろ何故もっと早く来なかったのかと、後悔した。
カフェは明治初期に建てられたという二階建ての古民家で、黒塗りの木に白塗りの壁が美しい。
ここでは店内と外のテラスで、珈琲と近隣の和菓子屋から仕入れた上生菓子を味わえる。
だけど私の一押しは、スーパーで売られている物よりもさっぱりとしていて苦い、この珈琲ゼリーだ。
84:名無しさん:2023/10/01(日) 09:32:22 ID:TxWaNXS60
__彼が私の横に座りだしたのは、カフェに通って4、5度目の頃だろうか。
その時私は二階の窓際の、二人掛けのカウンター席に座っていた。
建物の柱の色に合わせた木製のカウンターで、背もたれのない椅子だ。
目の前の、古い家特有の大きな窓から見える景色を堪能出来るので、私が行けば、いつも誰かしらが座っている席だ。
途中で空いても、流石に席移動するのもなと諦めていた。
だけどその日は上手いこと客が途切れ、初めてその席を確保することに成功した。
彼は3分以上経っても何も頼まず、窓の外を眺めていた。
('、`*川「…何か頼まないんですか?」
(´・_ゝ・`)「うん。」
信じられない、と思った。
カフェで何も頼まない非常識さに驚いたのではなく、『この店に来て何も頼まない』という勿体無さ極まりない行動にツッコミを入れたのだ。
(´・_ゝ・`)「だってこの階段、何度も上るのは大変でしょう?」
確かに昔の家は階段が急な上に狭いので、トレーに珈琲を乗せて持ってくる店主には辛そうだ。
その悪気無く居座る態度から、私は彼がお店の人の家族なのだろうと判断した。
なんだか雰囲気もよく似ている気がするし。
彼は客が私一人だけの時にたまにやって来ては、青々とした夏の葉が綺麗だとか、夕方になると鈴虫の鳴き声が聞こえるだとか、二つ三つ話しては去っていく。
私はそれに対して、水の入った真っ青な琉球ガラスのコップも含めての景色が好きだとか、一階の屋根付きテラスの黒くて華奢なアイアンの椅子と、赤紫のテーブルクロスも建物を美しく彩っているなどと返す。
85:名無しさん:2023/10/01(日) 09:33:06 ID:TxWaNXS60
彼はナンパ目的でもなく、いつも体温を感じさせないような距離で淡々と話す。
もしかしたらだいぶ基礎体温の低い人で、本当に身体が悪いのかもしれない。
('、`*川「そうなんだ…」
射し込む少し赤混じりの陽にはザラつきがあり、全ての輪郭を曖昧にする。
その色は眠気を誘い、私は目を瞑りたい欲に駆られながらそれだけ呟いた。
86:名無しさん:2023/10/01(日) 09:33:54 ID:TxWaNXS60
__あれから少し経つと、カフェのサイトに店舗移転のお知らせが掲載された。
何でも古い建物が集まるその施設内の計画で、建物の用途が変わる方針となり、カフェは郷内の蔵に移るとのことだ。
いつもあの急な階段を上り下りしていた店主は、挨拶の中で離れたくない、という言葉を残していた。
廃屋状態から手間をかけきって修復した、大切な場所だったのだと。
あの建物は…とても、愛されていたんだな。
87:名無しさん:2023/10/01(日) 09:36:43 ID:TxWaNXS60
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('、`*川「…。」
蔵へと移ったカフェの天井は高く、太い梁が見える。
前の建物から持ってきた家具は新たに配置され、なんだかごちゃっとして見えるけれど、黒い布製のソファに座ると不思議と以前と変わらないような居心地の良さを覚えた。
ニットの袖の先で揺れる湯気。
流石に今日は寒くて、カフェラテと上生菓子を頼んだ。
上生菓子の甘さを熱いカフェラテで喉へと運べば、誰よりも幸せな一日を送れたと満足した。
新しい店舗にはもう何度か通ったけれど、彼と会うことは一度もなかった。
('、`*川「ご馳走様でした。」
ありがとうございました。と頭を下げてくれる店主ご夫婦に、
『ご家族の方は、最近いらっしゃらないのですか?』
そう聞こうかと迷った。
私は、ここへは決まった日に通っている訳ではない。
彼が本当にご夫婦どちらかの家族で、私のいない間にもふらりとカフェに現れていたのであれば、彼に何かあった際に常連客に向けてブログで触れていることだろう。
カフェは数日の引越し作業を経てからペースを崩さず、新たな地盤を固めようと営業を続けている。
つまり私の推測は、勘違いだった可能性が高いのだ。
88:名無しさん:2023/10/01(日) 09:38:04 ID:TxWaNXS60
カララン
店から出て、敷石の上を歩く。
剪定された犬柘植を見て、今日も丸いなぁと関心する。
この施設は同じような白壁の屋敷がいくつもあり、それらの敷石は一つの門へと続いている。
私は、以前通っていた建物へと振り返った。
('、`*川「…。」
入口には小さな門があり、それが閉まっているために中は見えない。
だけどなんだか、彼がまだあの家に居るような。
居ないような。
どちらでもあるような気配がした。
(、`*川「…帰ろ。」
私は、いつかまた彼が誰かの横に座って、淡々と。けれど穏やかに話をしていたら良いなと願った。
終