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o川*゚ー゚)oFall in the every nightのようです

1: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:26:56 ID:.UMmvS9E0


~注意~


本作品に出てくるo川*゚ー゚)oはアンドロイドなのにもかかわらずもぐもぐとご飯を食べていますが、まぁドラ〇もんみたいなものだと思ってください。

2: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:28:12 ID:.UMmvS9E0

 

コトコトと音を立てる鍋の火加減を調整しながら、ちらりと部屋の壁に立てかけてある時計に目をやる。

長針は既に数字の8を指しているのが見える、と同時に、クスリと小さな苦笑が漏れた。

 

そんなことを態々しなくたって、この身に搭載された機能は日本の標準時を一秒の誤差なく刻んでいる。一々時計を見る必要など全くない。

一年以上一緒にいる同居人のクセが移ってしまったか。

そう思いながら、私はずっと愛用しているミトンを右手に着けた。

 

o川*゚ー゚)o(……まだかなぁ)

 

蓋を開け、鍋の中身を見る。

先月の終わり頃に新調したばかりの新品の鍋。

その中では、秋らしい暖かな黄色の液体がコトコトと煮込まれていた。

 

 

3: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:29:33 ID:.UMmvS9E0

 

『かぼちゃのポタージュ』。それが今日の晩御飯のメインメニューだ。

 

かぼちゃの収穫時期自体は8月頃からだが、甘味がより増すのは10月頃から。

秋といえば、かぼちゃ。かぼちゃと言えばポタージュである。

 

作り方も、少々手間こそかかるものの単純だ。

 

まずかぼちゃの種やワタ・皮をしっかり取り除き、後々の調理を楽にするため、電子レンジ500Wで5分ほど加熱して丁寧に裏ごしをする。

鍋に中火でバターを熱し、予め薄切りにしておいた玉ねぎを加え、玉ねぎが透き通るくらいの色味になるまで炒めたら小麦粉を大さじ一杯投入。

 

o川*゚ー゚)o(ぐるぐる)

 

粉気がなくなってトロリとしてくるまでは、火はそのまま弱めずに。

その後、牛乳を四回ほど分けて少しずつ入れて、細かく砕いたコンソメと裏ごししておいたかぼちゃを加える。

 

その次はミキサーを使って撹拌。

先ほど、かぼちゃと言えばポタージュだと述べたのと同様、ポタージュといえばミキサーだ。

 

 

4: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:31:45 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o(ミキサー、洗うのちょっと面倒なんですよねぇ)

 

o川*゚ー゚)o(いっそ私が代わりに…いやいや、絵面がアウトすぎますか)

 

鍋に移し替え、弱火で温めながら塩・胡椒で味を調える。

人によっては砂糖を入れるのもアリだとは思うが、せっかくの秋の甘いかぼちゃ。今回はあえてナシで進めることにした。

 

味見用の匙で少量を取り、小皿に移した一口啜る。

少しだけ牛乳を加えて、また一口。

 

今日も上手く出来た、と自分の性能に酔いしれながら、今日はどんな顔で食べてくれるだろうかと想像に胸を躍らせる。

きっと喜んでくれるだろうとニヤける口角をおさえることもせず、再び鍋に蓋をして火を止めた。

 

 

最新型のアンドロイド、“アイ”である私が味見による調整を間違える訳もない。

第三世代NewAIシリーズ・レプリカントナンバーr-Q10、通称“キュート”。

それが一見人間に見える、私の正体である。

 

 

5: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:32:40 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「よし!洗えるものは洗っちゃいましょうか!」

 

どうせ待ち人が帰ってくるまで、あと三十分以上はかかる。

別のコンロで作っておいたハンバーグを別皿に移し、フライパンやミキサーなど、使った調理器具を洗っていく。

 

細かくばらしたミキサーを洗い終え、他の機具と共に一纏めにしていく。

使った包丁やまな板などの水気をしっかりとふき取り、元の収納場所に手際よく戻していった。

 

 

さて、次は何を済ませようか。

ここに来たばかりの頃、私がうっかりミスで焦がしてしまった壁の黒いシミから目を逸らして思考を巡らせる。

 

腰に手を当て考えること数秒、テレビでも見て時間を潰そうとリビングの中心に足を動かす。

テーブルの上に無造作に置かれていたリモコンに手を伸ばそうとした瞬間、私の鋭敏な聴覚は聞き馴染んだ足音を捉えた。

 

 

6: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:34:28 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ワ゚)o「あっ…!」

 

駆け足気味にリビングを出て、玄関の明かりを点ける。

部屋の外側から聞こえてくる微かな足音が、段々と大きくなってくる。

待ちきれなくなった私は足元のクロックスを履いて、玄関を勢いよく開けた。

 

o川*^ワ^)o「ばあっ!」ガチャッ

 

Σ(; ,,^Д^)「うおっ!?」ビクッ

 

力強くドアを開けたその先で、未だ草臥れの見えないスーツに身を纏った青年が驚いた声を上げる。

左手にはよく手入れされた黒革のトートバッグが、右手には部屋の鍵がつけられたキーケースが握られていた。

 

 

7: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:35:44 ID:.UMmvS9E0

 

o川*^∩^)o「ふふっ!今日も一日、お疲れみたいですねー!」

 

目を丸くした彼を見て、口に手を当てながらクスクスと笑う。

私のマスターであり、同居人。“猫田タカラ”は「またか」といった様子で、呆れたように溜息を吐いた。

 

(; ,,^Д^)「キュ、キュート、お前な…一々開けなくてもいいって、何度も言ってるだろ?」

 

これ見よがしに部屋の鍵を見せられる。

呆れる彼の反応に再び笑みが零れた。

 

o川*゚ー゚)o「いいじゃないですか!わざわざ鍵を回す、なんて面倒な行為を一つ省略出来てるんですから!」

 

(; ,,^Д^)「その度に心臓がびくってなるんだよ…」

 

ぼやきながらではあるが、彼の口角はほんの少し上がっているのが分かる。

別に彼も怒っている訳じゃない。もはや一つの約束事と化した、私と彼のルーティーンの一つ。

 

 

8: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:37:21 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「まあまあ…ほら、晩御飯!ちょうどいい感じに出来てますよ!」

 

( ,,^Д^)「…おっ、確かに、今日も良い匂いするな」

 

入るように促しながら、クロックスを脱いで一足先に中に戻る。

 

o川*゚ー゚)o「……あ、そうだった」

 

私に続いて家に入った彼の方に、にっこり笑顔でクルリと振り向く。

革靴を脱いでいる彼を見ながら、毎日必ず言うようにしている当たり前の言葉を、いつもの調子で口にした。

 

 

9: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 21:38:36 ID:.UMmvS9E0

 

 

 

o川*^―^)o「――おかえりなさい!マスター!」

 

 

(* ,,^Д^)「――ただいま、キュート」

 

 

 

 

笑顔で返してくれたマスターの荷物を受け取り、二人で仲良くリビングへと歩く。

 

 

今の暦は11月。それも、もう少しすれば下旬に差し掛かるという頃。

マスターが無事に社会人になってから、既に半年が経過していた。

11: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:12:30 ID:.UMmvS9E0

 

 

 

(* ,,^Д^)「……うん!美味しい」

 

o川*゚ー゚)o「…!そ、そうですか」

 

平静を装いながら、テーブルの下で小さくグッと拳を握る。

普段からよく懇意にしているパティスリーで買ったクロワッサンを齧りつつ、マスターがポタージュをゆっくりと啜るのをちらりと盗み見た。

 

軽くオーブントースターで焼いたクロワッサンに、肉汁がたっぷり溢れるように焼いたハンバーグ。

自信作のかぼちゃのポタージュに、余ったかぼちゃと玉ねぎで作ったデリ風サラダ。

我ながら秋らしい色合いで収まった晩御飯である。

 

 

12: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:15:50 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「サラダもだけど、ポタージュめっちゃ甘いな。これって砂糖か?」

 

o川*゚ー゚)o「いえ、かぼちゃ本来の甘味が強いんです。やっぱりこの時期はかぼちゃですね~!」

 

少し得意げになりながら、私もポタージュを掬って口に運ぶ。

ぱくりと口に含んだその瞬間、滑らかなかぼちゃの甘味が舌の上に広がっていった。

 

o川*´~`)o(甘味とろっとろ)

 

秋を迎え、砂糖が要らないほどに甘く熟れたかぼちゃをまったりと味わっていく。

そこでふと、とあることを思いついた私はクロワッサンを一口大にちぎり、ポタージュへと浸した。

 

( ,,^Д^)「あ、それいいな」

 

o川*^―^)o「ふふ!お行儀よりも美味しさ、ですよ!」

 

充分にポタージュに浸したパンを掬い、勢いよくはむっと頬張る。

生地に沁み込んだポタージュの濃厚な甘味がさくさくとしたパンの食感と合わさって、絶妙な調和が生み出されていた。

 

 

13: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:17:20 ID:.UMmvS9E0

 

数度それを繰り返した後、もう一度サラダを口に運ぶ。

こちらにもポタージュ同様、無駄な砂糖は加えていない。

にもかかわらず、デザートの類かと勘違いしそうになるほどの優しい甘味。そしてそれらに混ざるほどよい食感の玉ねぎが、さらに食欲を呷っていく。

 

o川*´~`)o(お店のより上手くできましたね)

 

私同様、満足そうな顔で咀嚼を続けるマスターを見ながら心中で小躍りする。

以前、都内のデパ地下で買ったデリサラダを参考に作ってみたのだが、中々に上手くいったようだった。

 

 

14: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:18:58 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「うわ、相変わらず肉汁凄いな」

 

o川*^ー^)o「ちょっとしたひと手間、加えてますから!」

 

ハンバーグに箸を入れたマスターが驚きの声を上げる。

この一年で無数に増えた私の料理レパートリーの中でも、特に自慢の一品だ。

 

 

ハンバーグを作るにあたって、特に気を付けなければならないのはタネの温度だ。

タネに余分な熱があれば肉の油が溶け、旨味が逃げてしまう。

 

そこで、氷を使うことにした。

暇つぶしに見ていた昼のワイドショーで紹介されていた方法である。

 

諸々の材料を混ぜたひき肉に、細かく砕いた氷一個分を粘りが出るまでしっかり混ぜる。

その後、予め強火で温めていたフライパンで素早く一分ほど焼き、裏返したら弱火で9分ほど蒸し焼きにする。これだけである。

 

テレビでやっていたのは、タネの真ん中を窪ませ、そこに氷を置くという方法だったのだが、それだとあまり上手くいかなかったので今ではこの方法を採っている。

もっとも、タネを作る段階で炒めた玉ねぎも冷やしておくなど細かい部分はあるが、家で出来ないような大それた工程は何一つない。

 

 

15: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:20:46 ID:.UMmvS9E0

 

(* ,,^Д^)ウマイ!

 

o川*^ー^)oエヘヘ

 

それだけの手間でここまで嬉しそうに食べてくれるのだから、一手間や二手間、いくらでも加えてあげたいというのがアンドロイド心というものだろう。

 

ハンバーグに箸を入れると、まるで豆腐を切ったかのようにするりと切れる。

中から溢れる肉汁に肉を浸して、口を大きく開けて頬張った。

 

( ,,^Д^)「…にしても、どんどん料理上手くなっていくな。もしかして、本当は料理ロボットだったのか?」

 

o川*゚ぺ)o「余りにも優秀すぎるから料理“も”出来ちゃうだけですー!」

 

口を尖らせながら発した反論に、マスターは笑いながら「冗談だよ」と返す。

まぁ確かに、ここ最近は料理などの家事しかしていないのが現状だ。

 

 

16: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:23:08 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o(…いやまぁ、最初から家事しかしてなかったかもですけど)

 

一年前の夏。当時、就職活動で苦しんでいたマスターを補助するという名目で、私はこの家に送られた。

しかし、マスターは肝心の就活に私を活用することはほとんどなかった。結局、マスターの外出中に部屋の掃除や洗濯、料理などの家事くらいすら私にはやることがなく。

マスターが大学を卒業した社会人になった今も、あまり形が変わることなく、この同居生活が続いているという訳である。

 

o川#゚―゚)o「…というか、マスターが最近、私に家事しかさせてないからじゃないですか!」

 

(; ,,^Д^)「えっ、俺?」

 

ハンバーグを咀嚼したままのとぼけた顔を向けられる。

 

めっきり冷え込み、街中の緑が赤色に染まる今日この頃。

良い機会だ。いつ言おうかとずっとため込んでいた不満をこの期に口にすることにした。

 

 

17: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:24:49 ID:.UMmvS9E0

 

o川#゚ぺ)o「そうですよ!なーんか毎日スーツ着るようになったかと思えば!」

 

o川#゚―゚)o「毎日毎日仕事仕事…!最近は帰ってくるのは早くても19時過ぎだし、土日は疲れてるからって家でダラダラ!」

 

o川#゚Д゚)o「一年目ですよね!?なのになんでもう社畜ムーブしてるんですか!?」

 

ハンバーグに添えたプチトマトを一口で嚙み潰しながら、腹の底に溜まっていた文句を述べる。

「研修期間が終わった」と言っていた9月頃から、明らかにマスターが家に帰ってくる時間が遅くなった。

 

自分なりに情報収集したが、一年目というのは基本的にさほど残業などはないと聞く。

それがどうだ。良い企業に入れたと聞いていたのに、毎日毎日、さほど遠くないはずの職場から定時を遥かに超えて帰ってくる始末。

 

なんだかんだ色んな所に出かけていた土日も、いつの間にやら消え失せていた。

 

 

18: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:25:42 ID:.UMmvS9E0

 

(; ,,^Д^)「い、いやその…今ちょっと忙しいだけで、来週からは多分マシになるから…」

 

o川#゚―゚)o「それ先週も聞きました」

 

冷ややかな目で睨みつけると、マスターは慌てて目をそらしてポタージュを掬う。

 

o川#゚―゚)o「土日だって、いっつも理由つけて家でゴロゴロしてるし!」

 

(; ,,^Д^)「ほ、ほら、休日は人が多いだろ?キュートだって、混んでる所にわざわざ行きたく…」

 

o川#゚―゚)o「は?」

 

(; ,,^Д^)「いや何でもないです…」

 

不満を取り繕うともしないまま、ストレスを解消するかのように食事を続ける。

怒る私とは対照的に、マスターは居心地が悪そうにクロワッサンを小さく齧った。

 

 

19: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:27:10 ID:.UMmvS9E0

 

…別に、本当はそこまで怒っている訳ではない。

 

仕方のないことだということは理解している。

人の良いマスターのことだ、早く職場に馴染もうと、早く成長しようと必死に職場でもがいているのだろう。

 

私のことを考えてくれているのも、分かっている。

私が作ったご飯を食べるために、いつも飲み会を断って、出来るだけ早く帰ろうとしてくれていることも知っている。

休日も、疲れているのに買い物くらいには付き合ってくれていることに感謝もしている。

 

しかし、ここ数ヶ月、どこかに二人で遊びに行った記憶がないのはいただけない。

面倒なポンコツだと思われても、これだけは譲れない。

 

 

不満と、申し訳なさと、やるせなさと、怒り。

他にも表現し難い感情がぐるぐると胸の中で渦を巻く。

これを一言で表すとすれば、それは、きっと――。

 

 

20: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:28:37 ID:.UMmvS9E0

 

 

 

o川* ―)o「……寂しいんです、けど」

 

 

 

持っていた箸を置き、対面から目をそらしてポツリと呟く。

ちらりと正面の様子を伺うと、マスターは目を丸くしてこちらを見ていた。

 

o川;゚―゚)o「な、なんですかその目は!」

 

( ,,^Д^)「いや…いきなりなんか、しおらしいことを言うから」

 

o川#゚―゚)o「誰かさんがず~っと私のことをルンバ扱いするからです!」

 

さっきとは打って変わって、マスターはクスクスと朗らかに笑う。

私はなんだかしてやられたような気がして、半分ほどになっていたクロワッサンを丸ごと口に放り込んだ。

 

 

21: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:29:16 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「……明後日さ、多分、早く帰れそうなんだ」

 

箸を下ろしながら、マスターはゆっくりと口を開く。

なんだろう。疑問に思いつつマスターの話に耳を傾けた。

 

( ,,^Д^)「多分、どれだけ遅くなっても18時には出られる」

 

( ,,^Д^)「それで、その…一個、良さげな場所があるんだ」

 

そう言いつつ、マスターは私にスマホを差し出す。

渡された液晶画面に目をやると、そこには画面いっぱいに鮮やかな紅葉が映し出されていた。

 

 

22: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:30:36 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚o゚)o「わぁ…!」

 

見たことのない赤一色に色づいた景色に、思わず感嘆の息が漏れる。

 

“紅葉”、もちろん知識としては知っている。

しかし、これほどまでに絢爛な紅葉の景色は実際には一度も見たことがなかった。

 

( ,,^Д^)「『日比谷公園』っていう所なんだ。今、ちょうど見頃でさ」

 

( ,,^Д^)「この前、お世話になってる上司の人に教えてもらったんだ。特に夜が綺麗らしい」

 

マスターの説明を聞きながら、液晶を下にスワイプしていく。

確かに、紹介ページに挙げられている、夜のライトアップに照らされた紅葉の写真のほとんどが美しく、強く興味をそそられるものであった。

 

 

23: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:33:08 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「仕事終わりに待ち合わせしてさ、観に行かないか?」

 

( ,,^Д^)「…もちろん、キュートがよければ、だけど」

 

ほんの少し自信なさげに、マスターの声量が普段よりも若干落ちる。

にやけそうになる頬を必死に堪えながら、私は静かにマスターにスマホを返した。

 

o川*゚ー゚)o「…当日、“やっぱり残業が~!”なんて、絶対ナシですからね」

 

可愛げのない私の返答に、マスターはパっと明るい表情を見せる。

元気よく「ああ!」と答えて、彼は残っていたクロワッサンを一口で食べきった。

 

o川*゚ー゚)o「それで、夜に観に行くのはいいですけど、その日の夜ご飯はどうするんですか?」

 

食事の手を休むことなく、話を続ける。

さきほどの写真を見た感じ、かなり広い公園だ。

色々と見て回ろうと思ったら、どんなに少なく見積もっても一時間以上はかかるだろう。

 

 

24: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:34:15 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「あー、そうだな…どうしようか…」

 

ポタージュ用のスプーンを握りながら、マスターは何か考えるような素振りを見せる。

食事の手が止まること数秒、彼は「あ」と小さく呟いて私の目を真直ぐに見た。

 

( ,,^Д^)「偶には、ピクニックみたいにするか?」

 

o川*゚ー゚)o「えっ?」

 

( ,,^Д^)「簡単につまめるもの作ってさ、レジャーシート持って行って、夜の紅葉見ながら食べるっていうのも中々風流だろ?」

 

まるで遠足前夜の子どものように、マスターは楽し気に予定を語る。

紅葉を見ながらご飯。なるほど、それは随分と楽しそうだ。

 

 

25: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:36:29 ID:.UMmvS9E0

 

 

ふと、頭の中に一つの風景が思い浮かんだ。

 

 

先ほどスマホで見た景色とは違う。深紅の如き赤ではなく、もっとそれを薄めた桃色の世界。

半年以上前の、三月の終わり頃。マスターと二人で観に行った、近所の公園に咲いた満開の桜。

 

春になったら観に行こうと交わした約束。

あの時はただ観に行っただけで、それを見ながらの食事はしなかった。

 

o川*゚ー゚)o「…なるほど、ありですね」

 

私の呟きに、マスターは嬉しそうに頷く。

 

春と同じように、ただ景色をみるだけでは若干ながら物足りない。

あの時とは少し違った良さがあるかもしれないと、胸中に小さな期待の花が咲いた。

 

 

26: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:39:36 ID:.UMmvS9E0

 

(* ,,^Д^)「よし、決まり!レジャーシートは俺が持っていくから、キュートはご飯担当で…」

 

o川*゚ぺ)o「それよりも、ぜぇーったい残業とかしないで下さいね!」

 

o川* ―)o「…ドタキャンしたら、会社ごと焼き尽くしますから」ボソッ

 

(; ,,^Д^)「めっちゃ怖い脅しボソリと言うなよ…」

 

久方ぶりのお出かけの予定に笑みを浮かべながら食事を続ける。

いつの間にか“当たり前”になっていた至福の時間。

 

 

27: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:42:12 ID:.UMmvS9E0

 

話を続けながら、私は少し目線を下げて別のことを考えた。

 

マスターと出会って一年と四ヶ月。未だに伝えられていない、そもそも伝える気もない慕情。

 

 

o川* ―)o(……久しぶりの、デートだ)

 

 

きっと、彼はそんな風に捉えてはいないだろう。

マスターにとっては、仲の良い同居人と遊びに行く、程度の認識に違いない。

 

デートだと、舞い上がっているのは私だけ。

だけど、それでいい。この想いは、感情は、バグは、伝えない方がきっといい。

 

 

ちくりと痛む心臓を隠しながら、私はまだ見ぬ深紅の景色に思いを馳せた。

28: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:44:48 ID:.UMmvS9E0

 

 

 

 

マスターの朝は早い。

だが、私の朝はもっと早い。

 

午前6時きっかりになると同時に、マスターを起こさないよう静かにベッドから出る。

相も変わらず床で寝る彼を跨いで、朝食の準備にとりかかるのが毎朝の決まり事だ。

 

以前までは互いに交代で作っていたのだが、社会人になってからのマスターのお疲れ具合に私から専任することを申し出た。

こちらとしても、疲れた主人に無理やり作らせた朝食などあまり食べたくない。きっと申し訳なさから碌に味も楽しめないだろう。

 

 

29: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:45:59 ID:.UMmvS9E0

 

いくら私が超高性能アンドロイドでも、流石に朝からそこまで凝ったものは作らない。

油を引いたフライパンにベーコンを投入し、気持ち程度の塩を振りかけてじわじわと焼く。

 

その後は別皿に移し、空いたスペースに卵を投下。

食欲を煽られる音を聞きながら、ベーコンの油を利用して少し揚げ焼き気味に。

箸を器用に使って白身部分を掴み、形が崩れないよう、慎重に黄身を包む。

あとはひっくり返してしばらく火を通せば、コンパクトな四角形の目玉焼きの完成である。

この前、暇つぶしにネットサーフィンをしていて見つけた調理法だ。

 

オーブンで焼いておいたトーストにベーコンと目玉焼きを乗せ、白いキャンバスの余白を埋めるように、空いた部分に余り物のサラダやプチトマトを添える。

昨日のポタージュの余りに火をかけ、温まるまでに料理をテーブルへ。

 

 

30: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:47:27 ID:.UMmvS9E0

 

時間を確認する。既に長針は一周しかけ、短針は7を指すかどうかといった位置。

 

ポタージュが焦げないように鍋を見ていると、リビングからがさがさと物音がした。

音がした方向に顔を向ける。するとそこには、未だ眠そうに目をこすっているマスターの姿があった。

 

( ,,つД^)「…おはよう、キュート」

 

o川*^―^)o「はい!おはようございます、マスター!」

 

欠伸を噛み殺している彼とは対照的に、元気よく朝の挨拶を返す。

これも、毎日必ずするようにしている決まり事だ。

 

o川*゚ー゚)o「あ、ちょうど良かった!お茶出しておいて下さい!」

 

鍋をかき混ぜながらの指示に、マスターは短く「わかった」とだけ返す。

冷蔵庫を開ける動作から、コップに冷えたお茶を注ぐ所まで少し気にしながら盗み見る。

 

今日の寝ぐせは左向きか、なんて他愛ないことを考えながら、私はポタージュを容器に注いだ。

 

 

31: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:48:42 ID:.UMmvS9E0

 

 

テレビをつけ、朝の天気やニュースを見ながら二人で朝食を摂る。

今日することや、何時に帰るか、何か買っておかなければいけないものはあるかなど、取り留めのない会話がテーブルの上で緩やかに跳ねる。

これもまた、一年前からずっと変わらない光景だ。

 

食器の片づけに、歯磨きや着替えなど。諸々の準備をテキパキと済ませていく。

スーツに身を纏ったマスターの後ろを歩き、玄関まで見送る。

革靴の紐をしっかりと結んだ彼は、立ち上がると同時に私の方に振り返った。

 

( ,,^Д^)「昨日話した通り、会社の前で18時くらいに待ち合わせでいいか?」

 

確認の質問に、私は元気よく「はい!」と答える。

マスターの勤め先の住所はしっかりと記録済みだ。

行き方も、使うべき路線の電車も、完璧に把握している。

 

アクセス面だけではない。

設立年や資本金、果ては各年度の決算に至るまで、あらゆる情報を網羅済みであった。

やろうと思えば、ほんの数日でマスターの会社の株価を自由に変動させることだって出来る。もちろん、禁止されているのでやらないが。

 

 

32: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:49:36 ID:.UMmvS9E0

 

o川*>―<)o「ぜぇ~ったい!“やっぱ行けそうにない…”とかは許しませんからね!」

 

(; ,,^Д^)「分かってるって…もう怒られたくないし」

 

念押しの言葉に苦笑いが返される。

 

二ヶ月ほど前のある日のこと。ずっと懇意にしている居酒屋でご飯を食べようと約束していたにもかかわらず、急な仕事の事情で当日に流れたことがあった。

あの時の怒りとやるせなさは、生涯メモリから消えることはないだろう。

 

o川*゚ー゚)o「…はい、どうぞ。忘れ物とかないですよね?」

 

( ,,^Д^)「ああ、大丈夫。ありがとう」

 

o川*゚ー゚)o「お昼、ちゃんと食べるんですよ!」

 

( ,,^Д^)「分かってる、今日は食堂で済ませるよ」

 

手に持っていた鞄を手渡し、マスターの姿を今一度確認する。

何かしらの実験が失敗したような朝の寝ぐせも、ネクタイの乱れもない。

スーツにだって何処にも皺が見当たらない。我ながら完璧なアイロンがけだ。

 

 

33: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:50:33 ID:.UMmvS9E0

 

「それじゃあ」と玄関のドアに手がかかる。

マスターの暖かな双眼が、綻んだ口元と共にこちらに向けられた。

 

( ,,^Д^)「行ってきます、キュート」

 

o川*^―^)o「はい!行ってらっしゃい、マスター!」

 

とびっきりの笑顔を向けて、世界で一番大事な人を見送る。

バタンと音を立てて閉まったドアを見て数秒静止した後、私はふうと息を一つ吐いた。

 

 

34: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:53:24 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「…さて、夕方までに色々やっちゃいますか!」

 

私一人しかいなくなった家の中で、誰に届ける訳でもない、気合の入った独り言を口にする。

 

マスターと違い、私には仕事も何かしらの社会的責任もない。

だからといって、決して部屋の中でダラダラするという訳にもいかない。

どこぞの漫画に出てくる、和菓子を貪りながら一日中漫画を読んでいる某青い猫型ロボットとは違うのだ。

 

洗濯機を回し、その間に朝食で使った食器を洗って片付ける。

稼働が終わったサインの音を必死に鳴らす洗濯機から衣類を取り出してベランダへ。

 

今朝のお天気お姉さん曰く、今日の天気は一日晴れ。

南向きに設計されたベランダには、少し眠たくなるくらいの程よい朝日が差し込んでいた。

 

片っ端から衣服を干した後は再び部屋の中へ。

掃除機をかけ、どうせならと普段はやらない箇所もぱたぱたと掃除していく。

 

私がここに来た時とは違い、今はこの家にも色々と家具があるから随分と掃除にかかる時間も増えてしまった。

…まぁ、私のせいで色々と買い直す羽目になっただけなのだが。

 

 

35: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:54:48 ID:.UMmvS9E0

 

いつもより手の込んだ掃除も終わらせ、いよいよ特にやることがなくなってしまった。

壁の時計を見る。現在はまだ10時になるかどうかといったところで、約束の時間は18時。

それまでに要望された食事の仕込みを考えるにしても、かなりの時間的余裕がある。

 

o川*゚ー゚)o(…ちょっと早いけど、う~ん)

 

o川*゚ー゚)o(いいや!もう仕込んじゃいましょう!)

 

冷蔵庫を開け、その中身をチェックする。

今年の春に新しく買い直した、二人暮らしには少々大きな冷蔵庫の中には大量の食材が所狭しと詰められていた。

 

 

36: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:56:27 ID:.UMmvS9E0

 

持っていくメニューはもう決まっている。

 

まず、出先でも食べやすいもの。

いくら凝った料理を作ったところで、持ち歩けない、外で食べにくいなどというものは論外だ。

また、既にアウターが手放せない程の寒さとはいえ、痛みやすい食品なども出来るだけ避けたい。

 

そして、これは個人的な拘りだが、秋らしい食材を使ったもの。

せっかく食べ物が美味しくなる季節なのだ。今しか食べられない、今だからこそ美味しいものをメインにしたい。

マスターに美味しいものを食べてもらいたい、というささやかなアンドロイド心でもある。

 

以上の考えを基に、メニューは決定した。

“ホットサンド”と“スイートポテト”である。

 

 

37: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:57:38 ID:.UMmvS9E0

 

鼻歌交じりにキッチンへと移動し、戸棚から我が家の新戦力を取り出す。

ホットサンドメーカー。“お値段以上”を謡う某家具店にて購入したばかりの機具である。

 

o川*゚ー゚)o「よし、パパっとやっちゃいましょう!」

 

早速使ってみたいという気持ちをぐっと堪え、まずは具材の準備にとりかかる。

今回作るサンドイッチはホットサンド。それも、お酒に合うホットサンドだ。

 

何を隠そう、マスターは中々の日本酒好きである。

最近は碌に行きつけの居酒屋にも行けていないようであるから、今の彼に日本酒を差し出せば、それはもう大喜びしてくれることだろう。

 

紅に染まった月夜の下で、食事を楽しみながらゆったりと日本酒にも舌鼓を打つ。

ロケーションとしては、これ以上ないほどに風流で良い。

 

お酒にも合うようなアレンジをしやすく、なおかつ外でも気軽に運びやすく食べやすい。

その条件に見事合致したのが、ホットサンドという訳である。

 

 

38: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 22:58:39 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「チーズよし、ハムやベーコンよし……」

 

o川*゚ー゚)o「あ、トマト余ってる…うーん、まぁ、水気を切れば使えるだろうし、よし!」

 

冷蔵庫から使う予定の食材を片っ端から取り出し、調理をしていく。

水分が多いトマトは輪切りにし、塩を軽く振って10分放置し、レタスと共に水気を取る。

馴染みのパティスリーから分けてもらった食パンを均等に分けて、調理済みの具材を用意。

 

今日用意するのは4種類。

お酒に合う、ハムとクリームチーズのサンド。

シンプルなBLTサンド。

余っていた材料を使った鶏の照り焼きサンド。

そしてちょっと変わり種、サバのサンド。以上、賑やかな4種類のラインナップでお送りする。

 

ハムやベーコンには、いつもより少し濃い味付けをしておき、焦げ目がつく程度まで焼く。

いくつかのパンの片面には、薄く引いた粒マスタードとマヨネーズを縫って置く。

細かな手間はこれくらい、後は中に具材を挟んで焼いていくだけだ。

 

 

39: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:00:02 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「…せっかくだし、これは真面目に紹介してみましょうか」

 

一体誰に向けて話しているのか、自分でも判然としないまま足元に置いていた段ボール箱を開ける。

中には、かなり立派なサツマイモがゴロゴロといくつも転がっていた。

作るのはそう、家でも作れる簡単な秋スイーツ、“スイートポテト”である。

 

本音を言うなら自身の大好物であるシュークリームにしようとも思ったが、毎回それではあまりにも芸がない。

マスターがご友人さんたちから受け取ったサツマイモはまだ大量にある。

お芋のシュークリームはまた別の機会に作るとしよう。

 

 

40: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:01:29 ID:.UMmvS9E0

 

用意するものも、珍しいものは何一つない。

 

サツマイモ1本、バター60g、砂糖130g、卵6個、生クリーム100g、牛乳少量。

一人分でおおよそこれくらいだ。

私の個人的な好みで今回は砂糖を使うが、甘味の強い秋のさつまいもを使うなら砂糖はいっそなくても構わない。

また、更に香りをよくしたいのならばバニラオイルを入れるのもアリだ。

 

ちなみに、具材を揃えてみて実際に菓子作りをしてみると分かるのだが、菓子作りというのは手間暇などを考えると圧倒的に専門店やパティスリーで買った方がお得である。

まぁ、そこは感覚の問題。

私がマスターに作ったというその事実が大事なので、今回は深く考えないことにしておく。

 

 

41: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:02:38 ID:.UMmvS9E0

 

頂き物のさつまいもを蒸すこと20分。

これすら面倒な時はレンチンでもいいし、何なら買ったばかりの焼き芋でもいい。

 

その間に鍋に火をかけ、生クリーム、バター、砂糖を入れて沸かしておく。

どうせなら、といった軽いテンションでバニラオイルも少しだけ。

 

沸くまでに蒸し終わった芋の皮を剥き、残った部分は包丁で取り除いた後、力の限りを込めてマッシュしていく。

ここ最近のマスターへの怒りや不満が、少し軽減したような気がした。

 

潰した芋を裏ごしして、先ほどの鍋の中に投入。

ちなみに、裏ごしをするのが面倒ならばこれもやらなくていい。

前にマスターに裏ごししたものとそうでないものを黙って渡したら、特に何も言わずに食べていた。

 

 

42: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:04:05 ID:.UMmvS9E0

 

鍋が煮詰まったら、一つだけ残して卵黄を入れ、焦げないように素早くかき混ぜる、

水分が飛んでドロドロとしてきたら卵黄を入れるという工程を繰り返し、更に煮詰めていく。

とろみがなくなりほぼ固形になったら火をとめて、しばらく放置して冷ましておく。

 

この間に、一つだけ残しておいた卵の卵黄と牛乳を溶いておく。

焼く前のスイートポテトの表面に塗ってツヤを出す、“ドレ”と言われる作業だ。

これも面倒ならやらなくていい。少なくとも、うちのマスターは気が付かない人種だ。

 

o川*゚ー゚)o「これだけ色々手間かけてるんだから、もうちょっとくらい凝った感想が欲しいですね…」

 

文句を一人でブツブツと呟きながら芋が冷えるのをじっと待つ。

もちろん、何もしていなかった訳ではない。その間に、先に作ったサンドイッチを箱詰めしたり、持っていく諸々の用意など、ある程度の準備は済ませておいた。

 

o川*゚ー゚)o「さて、お芋はどんな感じですかね~?」

 

すっかり冷めた芋を丸く成形し、表面に先ほど作った卵黄と牛乳の合わせを塗っていく。

オーブンに入れ、焼成時間は200度でおよそ15分から20分ほど。

こんがりと程よく焼き目が付いていれば、完成である。

 

 

43: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:06:04 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)oつ〇←どう見ても美味しそうなスイートポテト

 

o川*゚ー゚)oつ〇「………」

 

o川*゚∩゚)oパクッ!

 

o川*゚~゚)oモグモグ

 

o川*゚ワ゚)oオイシー!

 

味見のため、と内心で言い訳をしながら焼きたてスイートポテトを一つ口に含む。

途端に、香ばしい焼き芋の風味となめらかな甘みが口の中に広がった。

 

旬を迎えた芋本来の甘味を砂糖が際立て、それをバターと牛乳による舌ざわりの良さが見事に包み込んでいる。

バニラオイルのふわりとした優しい香りも相まって、より一層美味しく感じられた。

 

むぐむぐと咀嚼した後、ゆっくりと嚥下する。

大成功だ。私は一人、キッチンで飛び上がった。

 

いそいそと後片付けを終わらせ、作ったスイートポテトも容器に詰めていく。

ホットサンドとは分け、水筒は三つ分。

鼻の長いあの動物がモチーフになっている某メーカーの保温機能付きの優れものだ。

 

 

44: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:07:38 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「………」

 

用意を進める手を止め、半年ほど前のことを想起する。

約束していた通り、二人で公園に咲いた大きな桜を観に行った日のこと。

 

あの時は、今回のように食事などを用意していなかった。

けれども、どうしてだろう。

 

あの時の方が、ずっとずっと楽しみだった。もっとドキドキしていたように思えた。

シチュエーション的には特に変わりのない、むしろ、今回の方が豪華である筈なのに。

 

 

45: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:08:21 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o(…まぁ、喜んでくれるなら、いっか)

 

胸に燻る小さなモヤモヤを払い、順番に荷物を詰めていく。

家を出なければならない時間まで、まだまだ余裕がある。

何をしようかと考え始めた矢先、調理に夢中になっていた私は未だ昼食を摂っていないことに気が付いた。

 

ゆっくりと立ち上がり、キッチンの方へと赴く。

そういえば、私の分の食材は残っていただろうか。

不安に駆られつつ冷蔵庫を開けた私は、中身をじっくり確認した後、そのままゆっくり項垂れた。

46: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:10:48 ID:.UMmvS9E0

 

 

*

 

東京都内、それは数多の高層ビルが立ち並ぶ街。

既に日は落ちきり、街の街灯が仕事終わりの人々を照らす夜の下。

待ち合わせの場所であるビルの前に置かれた長椅子に座りながら、私はマスターを待っていた。

 

o川*゚ー゚)o(……まだですかねぇ)

 

手持ち無沙汰を紛らわすように、いつもの二つ結びではなく、ストンと下ろした髪をいじる。

なんとなく最近は、マスターと二人で出かける時はこの髪型にしていた。

 

下ろしたりした方が大人っぽいだろうか。マスターはどっちの方が好きだろうか。

詮無いことを考えながら、お弁当や水筒など、諸々入っている鞄を隣の座席に遠慮なく置く。

辺りを見渡してみれば、私と同じように誰かを待っている人たちがぽつぽつと座っているのが確認出来た。

 

 

47: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:11:49 ID:.UMmvS9E0

 

ふと、その中の一人の女性に目が留まる。

黒のタイトなニットに、ストライプが可愛らしいフレアスカート。

その上に暖かそうなチェスターコートを着た可愛らしい女性が、ソワソワとしながらスマホとロビーの奥を交互に見ていた。

 

私がその女性に着目したのは、その忙しない様子が気になったからでも、彼女が中々に大きな荷物を持っているからでもない。

 

ζ(゚―゚;ζソワソワ

 

o川*゚ー゚)o(……似てる、なぁ)

 

普段からお世話になっている女性に、驚くほどに容姿が似ているからであった。

 

 

48: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:12:18 ID:.UMmvS9E0

 

勿論、別人であることは分かっている。

私に搭載された超高度の識別システムは、彼女のことを別人だと判定した。

 

髪の色や、少しの身長差に指の長さなど、細かい部分を挙げていけばキリがない。

だが、それにしても似ている。似すぎている。

この世にはそっくりな人間が3人はいるというが、その具体例を見たのは初めてだった。

 

暇潰しがてらに、こっそりと彼女を眺めること数分。

さっきまで心ここにあらずといった様子だった女性の表情がパっと明るくなった。

 

女性は勢いよく立ち上がり、ぱたぱたと小走りで駆けていく。

 

 

49: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:13:19 ID:.UMmvS9E0

 

o川;゚―゚)o(……あ)

 

ふと、自分の演算機能が警告を発した。

彼女が履いている、少し長めのヒール。

おそらく、買ったばかりで慣れていないのだろう。

彼女が思いっきり躓く未来が頭の中で鮮明に浮かんだ。

 

しかし、私はそれを知ってなお立ち上がろうとはしなかった。

こける彼女の前方から、とある長身の男性の影が近づいてくるのに気付いていたからである。

 

先ほど視た未来通りに、「きゃあっ!?」と少女のような悲鳴を上げて躓く女性。

それを、私と同じように予期していたみたいに、現れた男性がしっかりと抱きかかえた。

 

照れたように笑う女性と、呆れたように何かを喋っている身なりの良い男性。

幾分か怒っているようにも見えたが、彼の口元がほんの僅かながら上がっているのが伺えた。

 

( ^ν^) ζ(゚―゚*ζ

 

少し何かを話した後、仲が良さそうに並んで歩いていく二人。

その後ろ姿を見ながら、私は「いいなぁ」と、誰にも聞こえない音量で呟いた。

 

 

50: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:14:32 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o(……カップル、ですかね)

 

私の目は、ほんのささやかな温度変化ですら容易く見通す。

あの二人は、互いの存在を認識した途端に、笑ってしまいそうになるくらいに体温が上がっていた。

判然とその関係性が分かった訳ではないが、互いに互いを想い合っているのだろう。

 

o川*゚ー゚)o「………」

 

無言のまま、自分の両手に視線を下ろす。

この寒空の下、震え一つすら起こさない両手。

どれだけ外見を上手く見繕っても、中に詰まっているのは鉄や機密情報の集合体。

 

分かっている。私は機械だ。

分類で言えば、ちょっと他のことも出来るルンバやペッパー君と同じ。

どれだけ人間のように見えても、どれだけ人間と同じことが出来ても、中身は只の鉄の塊だ。

 

 

51: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:15:08 ID:.UMmvS9E0

 

家で使っている家電に、想いを寄せる人間がいるだろうか?

仮にスマホや最新家電に搭載されているバーチャルアシスタントに「好き」だと伝えられ、それを真面目に受け取る人間がいるだろうか?

 

答えは否。そんな奇特な人間などほとんどいない。

少なくとも、極めて一般的な価値観を持つ私のマスターには当てはまらない。

 

それでも、願ってしまう。祈ってしまう。

夢を見れない分際で、彼が私の手を取ってくれる未来を、何度も夢想してしまう。

 

o川*゚ー゚)o(…いつから私は、こんな非合理的な思考を組むようになったんでしょうか)

 

白く濁った水蒸気と共に、自嘲の想いをはぁと吐き出す。

何となく上げた視線の先に、ふと、見知った青年が小走りでこちらに来るのが見えた。

いや、見知ったどころではない。

ずっとずっと、待望していた顔だった。

 

 

52: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:16:12 ID:.UMmvS9E0

 

(; ,,^Д^)「……いた!キュート!」

 

少し慌てた様子のマスターが、こちらに手を振りながら近づいてくる。

家を出た今朝とは違い、彼のスーツにはほんの少し皺が寄っていた。

 

o川;゚―゚)o「あ…!お、お疲れ様です!マスター!」

 

横に置いてあった荷物を手に取り、慌てて立ち上がる。

私の様子を見た彼は、少し意外そうに目を丸くした。

 

 

53: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:17:55 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「なんだ、ここにいたんだな。中のロビーで待っててもよかったのに…寒くないか?」

 

o川*゚ー゚)o「い、いえ…大丈夫ですよ。私は寒さなんて感じませんし」

 

( ,,^Д^)「まぁ、そうだろうけどさ…次からは、中で待ち合わせしよう」

 

( ,,^Д^)「…というか、本当に寒くないのか?その恰好」

 

そう言って、マスターは何かを思い出したかのように鞄を漁る。

朝、出かけた時には持っていなかった、とあるセレクトショップの紙袋。

中からは、秋らしく明るいブラウンのコートが取り出された。

 

( ,,^Д^)「昼休みに買ったんだ。キュートに似合うと思って」

 

値札も予め外されていたそれを、促されるまま手に取り着用する。

その間にマスターは空になった袋を折り、元々持っていた鞄にしまっていた。

 

 

54: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:18:47 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「…うん、やっぱり似合う。寒くても大丈夫なのは知ってるけど、一応な」

 

私の姿をじっと見た後、朗らかに笑って満足気な様子を見せる。

去年、水族館に出かけた時には私の服装になど特に言及もしなかったクセに。

いったい、いつの間にこんな手練手管を身に付けたのだろうか。

 

o川* ―)o「……ありが、とう ございます」

 

何と言っていいのか分からなくなって、俯き加減に無難な感謝の言葉を返す。

簡潔に頷いた彼は「じゃあ、行くか」と言って私の隣に立ち、先導するように歩き出した。

 

o川*゚ー゚)o(……あったかい)

 

コートの温もりを感じながら、マスターの隣を歩く。

呑気に今日あったことを話す彼に相槌をうちつつ、私は頭の中で別のことを考えていた。

 

 

55: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:19:49 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)oいくらだったんでしょう、このコート)

 

私なんかに、という自虐的な考えが頭を過る。

 

マスターが持っていた紙袋に明記されたブランド名から、ある程度の値段は察することが出来る。

家電に付けるオプションにしては、随分と値段が張る代物だろう。

 

彼と出会って、共に過ごすようになって、既に一年が経過している。

それでも、私の高性能なCPUを以ってしても、未だに彼の人柄や価値観を完璧に理解できていない。

 

何かあれば私をポンコツ扱いするくせに、よく分からないタイミングで、私を人間の女の子のように扱う。

かと思えば、服を選んでいる最中に「ロボットなのにそんなこと気にするのか?」などという、配慮の欠片もない発言をしたりする。

 

未だに私がベッドで、彼は床に敷いた布団で寝ている。

風呂上りの私からは巧みに視線を逸らすのに、私の前で平然と着替えたりする。

以前は服が欲しいと言えば「必要か?」などと言っていたのに、最近は「可愛い」などと何の前触れもなく言ってきたりする。

 

 

56: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:20:33 ID:.UMmvS9E0

 

o川* ―)o(本当は、どう思っているんですか)

 

o川* ―)o(おかしな想いを抱いてるのは、本当に私だけですか)

 

o川* ―)o(……貴方側の手はいつも空けていることに、貴方は気が付いてますか)

 

逡巡する思考を纏められないまま、取り留めのない話を続けて歩く。

そのまま進んでいると、ふと、道が開けていることに気が付いた。

 

とても開けた交差点だった。

土日は信号の電源が切られるような、銀座や渋谷などでも見られるタイプの大きな交差点。

 

 

57: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:21:55 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「あっ…まずい」

 

マスターがぼそりと呟いたので、前の景色を確認する。

視認しやすいLEDの青色が、点滅しているのが見えた。

 

( ,,^Д^)「ちょっと走るか」

 

o川*゚ー゚)o「承知しました」

 

コクリと頷き、小走りで駆け出す。

問題ない。この辺りのデータはある程度調べておいてある。

ここの信号は事故予防のためか、歩行者信号の青の時間がやけに長い。

既に私たちは交差点に差し掛かろうとしている位置だ。

あの点滅が終わるまでに、余裕を以って渡ることが出来るだろう。

 

マスターに倣い、交差点を渡ろうと白く塗られた地面に一歩踏み出す。

 

 

まさに、その寸前だった。

 

 

58: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:23:29 ID:.UMmvS9E0

 

o川; ー)o「―――っ…!?」

 

(; ,,^Д^)「うおっ!?」

 

反応、いや、もはや反射に近い速度でパッとマスターの手を掴む。

前を歩いていた彼は驚いた声を上げ、立ち止まって不思議そうにこちらを向いた。

 

 

59: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:24:30 ID:.UMmvS9E0

 

(; ,,^Д^)「ど、どうしたキュート…?」

 

戸惑った表情を浮かべるマスターへの応えを後回しにし、他の通行人の邪魔にならないように端の方へと寄る。

 

o川; ー)o「……いや、その…ただ…」

 

o川; ー)o「何となく、凄く嫌な、予感が、して……」

 

しどろもどろになりながら口を動かす。

私でも、私の行動に上手く説明づけることが出来なかった。

 

 

60: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:24:53 ID:.UMmvS9E0

 

演算システムが働いた訳でもない。

だがどうしてか、私の視界には突然、とても嫌な風景が見えた。

 

大きな交差点の中心で炎上する車と、泣いている少女。

その傍らに倒れている、赤く染まったマスター。そしてそれを隠すように降りしきる白い雪。

 

今は雪など降っていない。確かに気温は低いが、それでもまだ冬の一歩手前だ。

交差点に目を向ける。いつの間にか信号は赤に変わっているが、どこにも突っ込んでくる車などは見当たらない。

 

一体何を危惧したのか、自分でもとんと検討がつかない。

それでも、“マスターを守らなければ”という判断だけが突然飛び込んできた。

 

 

61: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:26:27 ID:.UMmvS9E0

 

o川; ー)o「…ごめんなさい。ちょっと、故障かもしれない、ですね」

 

焦りと戸惑いを誤魔化すように乾いた笑いを浮かべる。

そこで私は、未だにマスターの手を握っていることに気が付いた。

 

o川; ワ)o「…じゃ、じゃあ行きましょうかマスター!ほら、もうすぐ、また青になりますし!」

 

握っていた手を離す。

笑顔を何とか取り繕い、何事もなかったかのように交差点の方に向き直る。

車道側の信号が黄色に変わる。またすぐ、歩行者側が青になる。

 

ここを過ぎれば目的地はすぐそこだ。

今、不具合を気にしたところで仕方ない。

 

信号が変わり、一歩踏み出そうと足を動かす。

すると、荷物を持っていない右手が、暖かな温もりに包まれた。

 

 

62: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:27:06 ID:.UMmvS9E0

 

o川*゚ー゚)o「へ……?」

 

右側を見る。

私の右手が、マスターの空いた左手に握られていた。

 

( ,,^Д^)「…まぁ確かに、危ない、からな」

 

( ,,^Д^)「一応、念のため」

 

ぎこちなく握られた手につれられて、交差点を渡る。

私の歩調に合わせてくれた歩幅のまま、互いに何も言わないまま。

 

 

63: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:28:39 ID:.UMmvS9E0

 

……こんな風に、手を繋がれるのは一体いつぶりだろうか。

 

一番最初に想起できるのは、去年の冬頃だ。

二人で水族館に出かけた帰り。雪で地面が滑りやすいからと、言い訳をして繋いだ冬の夜。

 

あれ以来、こんな風に手を繋いで歩くことなどなかった。

ここ最近はそもそも二人で出かけることすら少なくなったため、当然と言えば当然だが。

 

o川* ー)o(…やっぱり、大きいなぁ)

 

私よりも一回り大きな、少しゴツゴツとした男性らしい手。

 

繋がれた手に意識を向けていると、先ほどの理解不能な予想はどこへやら。

何事も起きることなく私たちは交差点を渡り切り、ゆっくりと歩道を進んでいく。

 

 

64: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:29:53 ID:.UMmvS9E0

 

( ,,^Д^)「…あ、見えた。あそこだ」

 

そう言って、マスターはくいと前方を顎で示す。

先の方では、ここからでも分かるくらいに華麗な朱色が、残夏の曼殊沙華のように咲き並んでいた。

 

o川*゚ワ゚)o「わぁ…!ネットで見るより、ずっと鮮やかですね…!」

 

遠く見える紅葉に感嘆の声を上げる。

ふと、周りを見れば、いつの間にか結構な人が同じ方向に歩いていることに気が付いた。

 

おそらく、私たちと目的は同じだ。

仕事終わりに、綺麗に色づいた紅葉景色を見ようと来たのだろう。

 

 

65: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:31:11 ID:.UMmvS9E0

 

綺麗だな、とぼんやり思ったのも束の間。私の意識がぐっと別の方に引き寄せられる。

未だに繋がれた手に籠る力が、ほんの少し強まったからだ。

 

( ,,^Д^)「…人、多いからな、まだ、一応」

 

今日、何度目かの“一応”という言葉と共に、ぎゅっと手を握られる。

人間よりもずっと優れた私の視界は、夜の暗がりを物ともしない。

隣から伺えるマスターの横顔は、遠方に見える紅葉に負けない程に紅く染まっていた。

 

o川*゚ー゚)o「……そう、ですね。はぐれるのも、嫌ですから」

 

o川* ー)o「………一応」

 

マスターに、というよりも、自分に向けた言い訳の言葉を口にする。

 

紅葉がもう少し遠ければ良かったのに。

あれほど楽しみにしていた公園が近づくにつれ、そんなことを考える。

 

 

66: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/05(木) 23:31:52 ID:.UMmvS9E0

 

 

この心音がバレていませんように。

高く浮かぶ夜の雲みたいな心地のまま、繋がれた手の温もりに意識を向けながら、胸に秘めたささやかな祈りを抱えたまま。

 

 

私たちはゆっくりと、日比谷公園に足を踏み入れた。

69: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:05:44 ID:6k8.ocVQ0

 

 

*

 

 

 

o川*゚ー゚)o「ほらマスター!ちゃんとそっち引っ張って下さい!」

 

(; ,,^Д^)「お、おう…!」

 

o川*゚ワ゚)o「そうです!そのままゆっくり下ろして…オッケーです!」

 

二人がかりで広げたレジャーシートの上に、急いで重石代わりの荷物を載せる。

これで多少強い風が吹いたとしても、シートが飛ばされることはないだろう。

 

 

70: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:07:13 ID:6k8.ocVQ0

 

夜の日比谷公園は、平日の夜とは思えないほどに盛況であった。

 

若いカップルや家族連れ。仕事が終わった後らしき社会人の集団に、一人で紅葉を見上げながら缶チューハイを飲んでいる人まで、多種多様。

私たちと同じようにシートを広げて食事を楽しむ者もいれば、何も言わずに並んで紅葉を見ている老夫婦なども見て取れた。

 

自然の景観を壊さない程度に舗装がなされた道には、点々と灯りがともされていた。

転倒防止や視界の確保のためというのもあるだろうが、おそらく、その主目的は大々的に咲いた紅葉のライトアップのためであろう。

下からは秋らしく力強いライトが、遥か上の夜空からは淡く優しい月光が紅葉に降り、その二つが合いまって見事な光の明暗を作り出している。

 

“秋”という概念をそのまま抽出し、日本人が古来より大切にしてきた和の文化と絶妙な塩梅で調合、視覚化したようなイメージと言えば伝わるだろうか。

とにかく、少なくとも私が想像していた以上にずっと美しく、絢爛な風景がそこにあった。

 

 

71: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:08:48 ID:6k8.ocVQ0

 

靴を脱ぎ、意気揚々と持ってきた荷物を開いて座り込む。

まるで宝石を掘り当てた探検家のような心持ちで、私は自慢の料理が入っている箱を取り出した。

 

o川*゚ワ゚)o「テッテレー!」

 

どこぞのアニメで聞いたような効果音を完璧に再現しながら、自慢げに蓋を開ける。

中から伺えたのは、多種多様な具材が挟まれたホットサンドだった。

 

(; ,,^Д^)「うおっ…!また大量に作ったな…!」

 

o川*゚ー゚)o「4種類、4つずつあります」

 

(; ,,^Д^)「そんなに!?」

 

o川*゚ー゚)o「興が乗って…あと時間もあったので…つい…」

 

持ってきたおしぼりで軽く手を拭き、座り込んだ状態でホットサンドに手を伸ばす。

私もマスターも、最初に手を取ったのはシンプルなBLTサンドだった。

 

 

72: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:10:36 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,-Д-)人

        「いただきます」

o川*- -)o人

 

二人同時に手を合わせ、ガブリとホットサンドに噛り付く。

その途端、舌の上にベーコンの塩気と野菜の食感が良い塩梅で広がった。

 

(* ,,^Д^)「うおっ…美味しい、食べ応え凄いな」

 

マスターの好意的な反応に笑みを浮かべながら咀嚼を続ける。

作ってから時間がある程度経過しているにもかかわらず、ホットサンドのカリカリさは然程失われていない。

齧りついたと同時に伝わってくる食べ応えの良さの中、肉の旨味を包んだ野菜のシャキシャキとした音が響く。

ほんの少しピリリとくるマスタードの辛味もまた、やや大きめにしたサイズを気にもしなくなるほどに、より一層食欲を引き立てた。

 

 

73: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:11:52 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「あれ、これは…サバか?」

 

o川*゚ー゚)o「はい!魚を使ったやつもアリかなって思いまして!」

 

秋といえば、野菜や果物といった食べ物が熟れ、より美味しくなる時期だ。

だが、美味しくなるのは何もそれらだけではない。

秋の味覚の代表としてよく秋刀魚や鮭が挙げられるように、サバもまた、代表的な秋の味覚の一つである。

 

 

秋鯖、と呼ばれる鯖がある。

産卵のために南下した、脂がのって身がしまっている状態の鯖のことだ。

その美味しさは、茄子と共に嫁に食わせるなと昔から揶揄される味とのこと。

 

こんがりと焼かれた両面にぎゅっと閉じ込められた秋鯖特有の油が、間に挟んだ薄切りの玉ねぎとともにじわりと舌に沁み込んでいく。

海を泳いで引き締まったその身はレタスとの相乗効果により、子気味良い咀嚼音を奏でた。

 

 

74: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:13:31 ID:6k8.ocVQ0

 

o川*゚ワ゚)o「…あ、そうだ!」

 

軽く手を拭き、鞄から水筒を出す。

コップになる蓋にゆっくりと中身を注ぎ、零れないよう慎重にマスターへと手渡した。

 

( ,,^Д^)「ありが…うん?これって」

 

o川*゚ー゚)o「ふふ、お気づきになりましたか?」

 

o川*^ー^)o「熱燗にしてみました!作ってすぐ持ってきたので、香りもほとんど飛んでないかと!」

 

マスターの水筒に入れていたのは水やお茶ではない。日本酒だ。

 

『雨後の月 千本錦 純米大吟醸 ひやおろし』

マスターが好きな日本酒の、秋限定バージョンのものである。

 

 

75: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:14:53 ID:6k8.ocVQ0

 

“ひやおろし”とは、簡単に言えば秋から冬にかけてしか飲めない日本酒のことだ。

 

日本酒は、本来貯蔵前と出荷前の2回、火入れと呼ばれる加熱処理が行われる。

だが、ひやおろしは春に一度しか火入れが行われない。

それにより、火入れを行わない生酒のような瑞々しさと爽快感を残しつつ、なめらかな味わいを楽しむことが出来るのである。

 

私の分もあるんですよと、自分の分の水筒も出す。

最近気に入った紅茶専門店で購入した、紅葉のお茶だ。

 

(* ,,^Д^)「随分と、風流なことを考えたな」

 

o川*^ー^)o「高性能ですから!侘び寂びの一つや二つ、ちゃーんと理解してますよっ!」

 

マスターの方を向いてニコッと笑い、互いのカップを軽くぶつける。

湯気が未だに立っている紅茶に数回息を吹きかけた後、ほんのちょっとだけ口に含んだ。

 

 

76: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:17:37 ID:6k8.ocVQ0

 

o川*>ー<)o「はぁっ…!沁み渡る…!」

 

落ち着いた秋の香りが舌先から鼻へと抜けていく。

この時期の空気を凝縮したような、そんな豊かで静かな味わいがするりと喉を通っていった。

 

(* ,,^Д^)「……はぁ~…美味い。やっぱいいなぁ、ひやおろし…」

 

o川*゚ー゚)o「それ、そんなにいいんですか?」

 

縁側に座ったお年寄りみたいにしみじみとお酒を飲むマスターに質問の声を投げかける。

日本酒含め、アルコールはどれも不快な苦みを含んだ飲料に過ぎないとしか思えない私にとっては、少し興味をそそられた。

 

( ,,^Д^)「秋しか呑めないんだよコレ。普通のやつよりずっとまろやかだし、それでいて果実みたいな爽快感と甘さもあるからさ」

 

紅葉をじっと見ながら、「今しかないから、より美味しいんだろうけど」と付け加えてカップを呷る。

最初はゆっくり、次は喉で日本酒を楽しんだ後、彼は再び手酌で自らのカップに酒を注いだ。

 

 

77: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:20:35 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「…あ、そうか。これ、どれも俺のために味付けちょっと濃くしてくれてたのか」

 

半分ほど残った鶏の照り焼きサンドを咀嚼しながら、感心したような口ぶりで言う。

その発言に少し驚いた私は少し遅れて、「ええ、まぁ」と短い返答をした。

 

( ,,^Д^)「うおっ…クリームチーズのやつもめちゃくちゃ日本酒に合うな」

 

( ,,^Д^)「どれも本当に美味いよ。ありがとう、キュート」

 

o川*゚ー゚)o「……どうもです」

 

o川*゚ー゚)o(……気付かれた)

 

こっそり加えた手間が容易く察されて、嬉しいやら恥ずかしいやら。

どう反応するのがベストなのか分からなくなり、とりあえず私も空になったカップに紅茶を注いだ。

 

 

78: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:21:14 ID:6k8.ocVQ0

 

お茶を飲み、ホットサンドを咀嚼しながら上を見る。

まるでまだ昼時なのではないかと思い違ってしまいそうな程に鮮やかな紅色が、夜空を隠すかのように咲き乱れていた。

 

食事の感想を言い合ったり、今日あったことを話しながら花見ならぬ紅葉見は続く。

そんな最中、ふと、はらりと一枚の紅葉が落ちる。

秋風に吹かれたそれはひらひらと宙を踊り、やがて、もう一つの弁当箱の上に着地した。

 

空洞が目立つようになってきた箱をちらと見て、そろそろいいか、と腕を伸ばす。

今日のメニューは一つではない。

秋と言えばやはり、芋を使った甘いものだろう。

 

 

79: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:22:51 ID:6k8.ocVQ0

 

o川*゚ー゚)o「ね、マスター。こんなのもあるんですよ」

 

落ちた紅葉を手で払いのけ、ゆっくりともう一つの箱も開ける。

中からは、空に咲いている紅葉の鮮やかさにも負けないほどに、黄金色に輝くスイートポテトが現れた。

 

まるで機械で作ったかのように完璧な円で形成されたそれらは、上空に浮かぶ十六夜月の代わりのようにも見える。

表面に当たる月光を反射して、それら自身が輝いているような眩ささえ感じられた。

 

(; ,,^Д^)「スイートポテトか?こんなのまで…凄いな」

 

o川*゚ー゚)o「ふふふ!ちゃんと味にも自信アリ!です!」

 

真ん中のものを一つ取り、ぐいっとマスターの方に差し出す。

いつの間にか空になっていた左手でそれを取ったマスターは、しばらく表面を見つめた後、半分ほどを口に含んだ。

 

 

80: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:24:47 ID:6k8.ocVQ0

 

(* ,,^∩^)「……!!うん…めっちゃ、美味しい」

 

o川*^ー^)o「ふっふ~!そうでしょう、そうでしょう!」

 

目を見開きながら続いた二口めで、最初のスイートポテトを完食するマスター。

その後、流れるように日本酒を飲み、また驚いたような顔をした。

 

(* ,,^Д^)「うおっ…!意外だけど、これもめっちゃ合うな…!」

 

そう言ってしばらくカップを見つめた後、残りを一気に飲み干す。

カップが離れた彼の口角が上がっているのを見た私は口角を上げたまま、箱に大量にある黄金の甘味を一つ手に取った。

 

 

81: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:26:08 ID:6k8.ocVQ0

 

o川*´~`)o(うん、冷めても美味し~!)

 

さすがに焼きたての香ばしさには敵わないが、代わりに冷めたことでより一層、さつまいも本来の甘味が味わえる。

口の中に残る甘さもしつこくなく、重厚なオーケストラを聞いた後の余韻のような心地よさがあった。

 

ふと、マスターのお酒を飲むスピードが僅かだが、段々と上がっていることに気が付いた。

私自身は酒の何が良いのかまるで理解できていないが、お酒と合わせるのにピッタリの料理や味付け、マスターが好みそうなお酒の種類や風味など、そういったものは把握している。

 

「雨後の月」は、ブドウや梨を彷彿とさせるような、爽やかな香りに定評のある日本酒だ。

元来持っている滑らかさも、ひやおろしともなれば更に増す。

その柔らかで優しい味わいは、味付けの濃い料理にも、滑らかな甘味にもよく合うだろう。

分析は見事に的中。熱燗にすることでより際立った香りが却って料理の邪魔にならないかとも危惧したが、余計な心配だったようだ。

 

 

82: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:27:52 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「……キュート、中身、空いてる」

 

o川*゚ー゚)o「へ?…あ、どうも、ありがとうございます」

 

いつの間にか空いていた私のカップに、マスターは悠然と紅茶を注ぐ。

私にお酒を注がせるのは嫌がる癖に、という感想を抱きながら礼の言葉と共に受け取った。

 

( ,,^Д^)「綺麗だな」

 

グラスに口をつけようとした寸前に、ピタリと私の動きが止まる。

ぎょっとして顔を上げると、マスターの視線は私ではなく、やや斜め上に紅葉に向けられていた。

 

o川;゚―゚)o「そ、そうですね!寒いのに、人が集まるのも納得です!」

 

o川;゚―゚)o(……びっくりした)

 

紅葉のことか、と納得しながら紅茶を啜る。

自分にあるまじき、浅慮な早とちりをするところだった。

 

 

83: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:31:39 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「…綺麗といえば、最近、よく同期の女の子たちとも話すんだけど」

 

o川*゚ー゚)o「……へ」

 

刹那、紅茶を飲む手が止まる。

あまり聞きたくない、それでいて少し気になる話題が始まりそうな予感がしていた。

 

マスターは話を続けながら、慣れた様子で自身のカップに次々と酒を注ぐ。

カップからは未だに冷めない熱燗の湯気がほのかに漂っているのが見えた。

 

( ,,^Д^)「やっぱり、ああいう大きな会社だと、綺麗な子が多いんだよな」

 

( ,,^Д^)「見た目だけじゃなく、所作とか、仕事も丁寧だし。同期の筈なのに自信なくすよ」

 

o川* ー)o「……そうですか」

 

呑気に酒を飲んでは景色を視覚で楽しみ、はぁと満足げに、それでいて少し不安そうな息を漏らす。

それがなんだか私にとっては少し腹立たしく、かといってそれを正直に言葉に出来る訳もなく。

苛々を抑えながら、私は手元の甘味にかぶりついた。

 

 

84: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:33:02 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「東京に引越してきた時も思ったけど、なんでこっちの女の子は、皆綺麗なんだろうな?」

 

( ,,^Д^)「やっぱりあれか?人が多い分、周りを気にする子が多いからか?」

 

o川*゚ー゚)o「あ、一枚落ちてきた。わ~綺麗ですね~」

 

( ,,^Д^)「割とパーソナルスペース狭い子もいるし…正直困るんだよなぁ、どうすれば…」

 

o川*゚ー゚)o「お芋、おいし~」

 

少し、いや、かなり不愉快に聞こえる話を聞き流しながらムシャムシャとスイートポテトを放りこんでいく。

じろりと隣を見てみれば、マスターの頬はどことなく赤色に染まっていた。

 

 

85: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:34:47 ID:6k8.ocVQ0

 

o川;゚ぺ)o「……酔ってます?」

 

(* ,,^Д^)「んあ?……あー、多分、割と」

 

マスターはだらしなくヘラヘラと笑い、カップに残った酒を全て口にする。

箱の中に残っていた最後のホットサンドに手を伸ばそうとするも、その手はどこかフラフラしていておぼつかなく、若干心もとない。

 

私以外の第三者が見ても分かる。間違いない、酔っている。

それも、笑ってしまいそうになるくらいに分かりやすいレベルでだ。

 

86: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:35:41 ID:6k8.ocVQ0

 

酒を飲み始めて、まだ一時間がやっと経過したというところ。

 

マスターは酒豪という訳ではないが、下戸という訳でもない。

自分の許容量は理解しているようだったし、私も魔法瓶の中には完全に酔っぱらってしまうレベルの量は入れていない筈だ。

 

どうしてだろうかと疑問に思った矢先、とあることを思い出した。

 

熱燗、温度が高いアルコールは体内での吸収が早く、常温や冷酒よりも酔いやすいと聞いたことがある。

私には関係のない話だと思っていたが、マスターのことを失念していた。

基本的に、彼はよく冷やした冷酒を好む。それに慣れている彼にとって、熱燗を飲むのに適したペースというのは危惧できなかったのだろう。

 

 

87: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:40:27 ID:6k8.ocVQ0

 

(* ,,^Д^)「あ、そうだ。配属された所なんだけどさ、上司の一人が面接の時に俺を案内してくれた人で…」

 

o川# ー)o「……すいません。聞き取れませんでした」

 

(* ,,^Д^)「あの人も美人なんだよなぁ。どうしても気を抜くとじっと見てしまいそうになるんだよ」

 

o川# ー)o「すいません。よくわかりません」

 

(* ,,^Д^)「しかもめちゃくちゃ仕事出来るんだよ。俺たち新人の進み具合まで把握してるし…やっぱり、持ってる人ってのは何でも持ってんのかなぁ?現実って残酷だよな~」

 

o川# ー)o「ご用件はなんでしょう」

 

只管に聞き心地が悪い話を、どこぞのバーチャルアシスタントよろしく作業的に流す。

まぁ例え彼が酔ってなくとも、まともに取り合うことはしなかっただろう。

 

マスターは普段からこういった話をしない人だ。

しかしこの様子を見るに、私に遠慮していたのか、それとも普段は理性で抑えていただけなのか。

とにもかくにも、他の女性についての誉め言葉が彼の口から出ることが、非常に不快なノイズのように聞こえて仕方がなかった。

 

 

88: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:41:53 ID:6k8.ocVQ0

 

o川#- -)o(……うるさ)

 

左耳の聴覚を一時的に遮断し、未だ暖かい紅茶を嚥下する。

斜め上を見上げる。さらさらと雅な音をたてながら揺れる紅葉がライトアップに照らされて眩しく網膜に映る。

 

何か別のことを考えよう。胸に燻る黒いモヤモヤを吹き飛ばすため、私は違うことに頭を回すことにした。

 

そうだ、セットで買った金木犀の紅茶とやらがまだ残っていたはずだ。次はそれをマスターと一緒に楽しむのもいい。

明日の朝食は何にしよう。彼は随分と酔っているようだから、胃に優しいものにしようか。

今日は出かけたのだから、明日は家でゆっくりするべきだろうか。

 

そういえば、そろそろクリスマスの時期だ。

以前から作ってみたかったシュトーレンとやらの材料でも、マスターと共に見繕いに行こうか――。

 

 

89: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:43:12 ID:6k8.ocVQ0

 

 

 

o川* ー)o「………私は、綺麗じゃないんですか」

 

 

 

ふいに思考が途切れ、本音が漏れた。

 

 

90: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:46:00 ID:6k8.ocVQ0

 

カップに残る水面に映った自分の顔を見る。

人間に受け入れられやすいよう、予め設計されて作られた顔だ。

それがどれほど整っているのか、どれほど人の目を惹くのかはある程度自覚している。

実際、それに誇りも持っている。その綺麗さも含めて“優秀”な私だ。

 

顔だけではない。髪の毛一本から足のつま先に至るまで、人間ならば奇跡と称されるほどの秀麗さになるよう設計されている。

どんな人間の女性よりも魅力的に作られている。それが私であるはずなのに。

 

自覚している。無意味な嫉妬だ。

いくら私の見た目が上手く取り繕われていたとしても、一皮剥けば、中身は無機質な鉄の塊に過ぎない。

家の中で動くルンバに慕情を抱くものなどいない。

反対に、自分を購入した人間に恋情を抱くルンバだっていない。

私が抱いているこれは、単なる“バグ”。整備不良の一種に過ぎない。

 

 

91: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:46:54 ID:6k8.ocVQ0

 

別に、どうなりたい、という訳ではない。

彼が私を必要だと思ってくれるならそれでいい。

すぐ傍で彼の笑顔が見られる、彼の隣を堂々と歩ける。その程度で満足なのだ。

 

…そう、言い聞かせてきた。

それだけで「満足しろ」と。それ以上、望むことは許されないし、意味もないと。

 

だがどうしたことか。その先を切望する自分がいる。

自分を見て、「可愛い」とか「大事だ」と思って欲しいと願ってしまう。

彼の“特別”になれたのなら、どれほど幸せだろうと夢を見てしまいそうになる。

 

無駄な思想だ。やるせない想いと共に、カップに残った紅茶を一息で飲む。

なくなってしまった、もう一度注ごう。

そう考え、すぐ傍に置いていた水筒に向かって手を伸ばす。

 

その途端、ぎゅっと腕を掴まれた。

 

 

92: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:51:24 ID:6k8.ocVQ0

 

o川;゚―゚)o「えっ……?」

 

( ,,^Д^)「おい、俺の話、聞いてるか?」

 

ほんのり頬が上気したままのマスターが、普段より数割ほど胡乱とした目で問いかけてくる。

やばい、本当に全然話聞いてなかった。

 

o川#-' -)o「あー…そうですね、美人さんばっかりで、いいですねー」

 

聴覚を切る寸前までに聞いた話を思い出し、適当な返事をする。

どうせ同じような話をずっとしていたのだろう。

 

マスターだって男性だ。見目が整った女性に興味があるのが当然だし、私がそれに不満を抱く権利なんてものはない。

小さな針が刺さったような胸の痛みを無視しながら水筒を掴んだ。

 

 

93: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:53:47 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「違う。…やっぱり聞いてなかったな」

 

ぐっと腕を引かれる。

一体何なのだ、と隣に顔を向けると、すぐ傍に彼の双眸があった。

 

o川;゚―゚)o「な、なんですか!もう、職場に綺麗な人が多いのは分かりましたって!」

 

( ,,^Д^)「はぁ?職場の話なんてもう終わっただろ」

 

o川#-' -)o「あーはいはい!そっか、紅葉の話でしたね!いやーもうホントに綺麗ですよね!ネットで画像検索して出てくるやつとは大違いで――」

 

( ,,^Д^)「それも違う。…つーか、さっきお前が聞いてきたんだろ」

 

否定の言葉と共に、ぎゅっと空いていた方の手を握られる。

いきなりの感覚に、うっかり手に取った水筒を零しかけてしまった。

 

危なかったと胸を撫で下ろすと共に、文句を言おうと顔を上げる。

すると、彼は真直ぐに私の両目を見つめてこう言った。

 

 

94: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:55:27 ID:6k8.ocVQ0

 

 

 

( ,,^Д^)「お前の話だ」

 

( ,,^Д^)「俺は、お前が一番、綺麗に見えるって言ったんだ」

 

 

 

途端に、辺りが静かになったような気がした。

 

 

95: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:57:38 ID:6k8.ocVQ0

 

 

o川;゚―゚)o「…………ほぇ」

 

 

あまりの衝撃的な言葉に、口から間抜けな声が漏れ出る。

今、私は何を言われたのだろうか。

 

 

メモリに残った音声ファイルを参照し、もう一度確認しようと試みる。

しかしそれより先に、マスターは私を正面から見据えながら再び話を紡いだ。

 

( ,,^Д^)「何だろうな?いや、そう作られてるから、美人に見えるってのは分かってんだけど、にしてもなぁ……」

 

( ,,^Д^)「それにお前、どっちかというと可愛い系だろ?なのに、たまにお前がこう…花の精霊みたいに綺麗に見えるんだよな」

 

むにむにと無遠慮に頬を触られる。

一体私は今、何を言われているのか、何をされているのか。

突如として押し付けられた情報の洪水に、頭が茹で上がりそうだった。

 

 

96: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:58:51 ID:6k8.ocVQ0

 

( ,,^Д^)「可愛く見える時もあれば、綺麗に見える時もある……」

 

( ,,^Д^)「これなんでだろうな?他の女子と何が違うんだ…?んん~?」

 

o川;*゚Д゚)o「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、あの…!」

 

「飲みすぎだ」。そう言って彼の手を払いのける。

マスターはそれでも胡乱な目をしながら、再びこちらに手を伸ばしてくる。

身構えるよりも一瞬早く、彼の手が私の髪に触れた。

 

 

97: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/06(金) 23:59:58 ID:6k8.ocVQ0

 

 

( ,, Д)「――ずっと、こうしたかった気がするんだ」

 

o川*゚―゚)o「………え」

 

 

スイッチが切り替わったみたいに、彼の声のトーンが低くなる。

噛みしめるように放たれたその言葉からは、いつになく真剣な感情が伺えた。

 

 

98: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:01:06 ID:7OkpXiWY0

 

( ,,^Д^)「…春にさ、桜、観に行っただろ?ほら、去年の秋から約束してた」

 

o川;゚ー゚)o「は、はい…綺麗、でしたね。あれも」

 

メモリに残った景色を思い返す。

近所の広い公園。その中心に聳え経つ、大きな一本の桜の木。

 

とても一本の木とは思えないくらい立派に、その桜は周囲の空間を薄桃色に染め上げ、春風に吹かれて舞い上がる花弁と共に幻想的な世界を作り上げていた。

言葉如きでは表せない程の絢爛さに、思わず瞬きすら忘れてしまったほどだ。

 

 

99: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:02:26 ID:7OkpXiWY0

 

( ,, Д)「…あれ見た時にさ、なんでか、“ありえない”って思ったんだ」

 

( ,, Д)「お前と二人で、並んで桜を見れるなんて、奇跡だって、何故か分からないけど本気で思った」

 

( ,, Д)「…今でもたまにそう思う。ふとした時に、“ああ、夢みたいだな”って思うんだ」

 

私の髪を梳きながら、マスターはぽつりぽつりと話し始めた。

 

家に帰って、私に「おかえりなさい」と言われた時。

私の作ったご飯を食べている時。

私と並んで、近所を歩いている時。

そういう当たり前の日常の一瞬に、やるせないような、泣きたくなるような、形容し難い感傷的な気分になるのだと。

 

( ,, Д)「…悪い、変なこと言ったな」

 

「忘れてくれ」と言い残し、彼の手がするりと私の髪から離れる。

これで話は終わりだと言わんばかりに、彼は再び酒を口に含んだ。

 

 

100: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:04:28 ID:7OkpXiWY0

 

o川*゚ー゚)o「…………」

 

私は何も言えなかった。

理解できなかったからではない。むしろその逆。

 

この半年間、私もよく、同じことを考えていたからだ。

 

 

貴方が「ただいま」と言う度に、いつもほっとしていた。

私の料理を美味しそうに食べる貴方を見て、無性に泣きたくなる時があった。

隣を歩く貴方の足音が、愛おしく聞こえて仕方がなかった。

 

 

じっと俯きながら、何を言えばいいのかと考える。

空になったカップには、当然答えなど書かれていない。

 

それでも、何か言わなければ。

「私も同じ気持ちでした」と、伝えなければ。

 

o川* ―)o(………違う)

 

そうじゃない。言うべき言葉は、伝えたいことはそうじゃない。

もっと言わなくちゃいけないことが、言いたくても、言えなかったことがある筈だ。

101: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:06:02 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ―)o「……マスター」

 

( ,,-Д^)「………うん?」

 

o川* ―)o「私も、変なこと言っても、いいですか」

 

カップを置き、パンと両手で勢いよく頬を叩いた。

 

ずっと言いたかったこと。言えなかったこと。

バグだの無意味だのと、あれこれ自分に言い訳をして、胸の奥に仕舞いこんでいた言葉。

 

覚悟を決める。

二文字でも、五文字でも、どちらでもいい。

言わなきゃいけない。どこの誰の為でもなく、他でもない私のために。

 

 

――最期まで言えなかった、臆病だった何処かの私のために。

 

 

102: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:08:55 ID:7OkpXiWY0

 

 

o川* ―)o「マスター」

 

下を向いたまま彼を呼ぶ。

ぎゅっと握ったままの拳が震えているのが分かる。

拳だけじゃない。きっと、さっきの私の声色も平素とは違っていただろう。

 

なけなしの勇気を振り絞る。

どう伝えようか、なんて言おうか。拒絶されたらどうしようか。

 

それでも言おう。二文字にしよう。言葉にしよう。

ずっと塞ぎこんでいた想いを、エゴを、貴方に伝えよう。

 

締め付けられるように痛む心臓の鼓動を聞きながら、一つ、大きな深呼吸をした。

 

 

103: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:10:18 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「マスター」

 

o川* Д)o「私は、わたし は」

 

胸の奥、作り物のプラスチックの心臓が、痛いくらいに騒めき立つ。

 

関係が変わってしまうかもしれない。

もう、明日から、貴方の隣にいられないかもしれない。

怖い。拒絶されるのが、怖くて怖くて堪らない。

 

 

 

それでも。

 

 

104: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:11:38 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「わ たし は」

 

o川* ー)o「私は、マスターが、貴方が」

 

震える喉を懸命にしめて、口が閉じないよう力を込める。

 

貴方が私を、”そういう存在”として見ていないのは分かっている。

だけど、それでも、そうだったとしても。

 

何も言わずに終わるより、絶対に、こうするべきだと思うから。

そうすべきだと、誰かに言われた気がするから。

 

 

 

o川* Д)o「貴方、が―――!」

 

 

 

想いを告げようと、顔を上げた。

 

 

105: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:15:23 ID:7OkpXiWY0

 

 

 

 

( ,,-Д-)zzzフゴー

 

 

 

 

 

間抜け面が、すぐ目の前にあった。

 

 

106: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:18:25 ID:7OkpXiWY0

 

 

o川* Д)o「……………」

 

o川* Д)o「………」

 

o川* ー)o「」

 

o川* ー)o「……」

 

o川* ー)o「…………」

 

o川* ー)o「……………………」

 

 

 

 

 

 

o川*゚ー゚)o「…………………いや、は?」

 

 

107: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:20:02 ID:7OkpXiWY0

 

喉の震えが止まる。

同時に、胸の痛みなどまるでなかったかのようにスッと消える。

 

どうやら、私の一世一代の告白は。

眠りこけるマスターの顔を見ると同時に不発に終わったようだった。

 

o川#゚―゚)o「………」

 

o川#゚―゚)o「……え、コレ、ぶん殴っても許されますよね」

 

平手打ちの一発でもかましてやろうか。

そう思い手を振り上げるも、私の中のプログラムが「それはちょっと…」と禁止する。

 

腕を下げ、思考を巡らせること数秒。

これならば、と指をデコピンの形にし、マスターの額に近付ける。

プログラムからの注意もない。どうやらこれくらいならいけるらしい。

私は人間の頭蓋骨が割れない程度の力を込め、マスターの額目掛けて指を弾いた。

 

 

108: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:23:49 ID:7OkpXiWY0

 

Σ(; ,, Д)「うごっ!!」バチィン!!

 

(メ ,,-Д-)zzz「………」フゴー

 

o川#゚―゚)o「いや起きなさいよ」

 

苛立ちを覚えながらマスターの顔を覗き込む。

健やかな寝息と、落ち着いた呼吸音。どうやら本当に眠っているようだった。

 

彼が未だ手に持っているカップを手に取り、水筒に戻す。

もう殆ど呑みきってしまっていたのか、と水筒の重さから静かに納得した。

 

確かに最近はかなり疲れていたようだし、今日は酒が回るのも早かった。

眠ってしまうのも仕方がない。そう自分に言い聞かせても、やはりどうして、よりによって今眠るのかということへの怒りは収まりそうになかった。

 

o川# ー)o「まっっったく……仕方のない人なんですから…」

 

気を取り直そうと紅茶を注ぎ、スイートポテトと共に味わう。

しばらくそうしながら紅葉を見てから、私はゆっくりとマスターに視線を戻した。

 

 

109: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:26:49 ID:7OkpXiWY0

 

o川*゚ー゚)o「…まぁ、これでよかったかもしれませんね」

 

安堵のため息をつき、眠ったままのマスターの頬をツンツンと指で突く。

まぁまぁな力を込めたデコピンでも起きなかったのだ。これくらいで目を覚ますことはないだろう。

 

o川*゚ー゚)o「………」

 

今なら、何をしても目覚めない。

つまりそれは、今なら何を言っても、聞かれることはないということ。

 

口に残っていたスイートポテトを飲み込み、マスターの隣に改めて座り直す。

紅葉の下で呑気に眠る彼を見つめながら、私はゆっくりと口を開いた。

 

 

110: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:29:17 ID:7OkpXiWY0

 

o川*゚ー゚)o「…知ってますか?マスター」

 

o川*゚ー゚)o「私ね、実はもう半年以上、スリープモードになってないんですよ」

 

私はアンドロイドだ。人間と違い、眠る必要はないしその機能もない。

ただ、類似機能としてスリープモードというものがある。

単に、エネルギーの節約の為の機能だ。

基本的に動く必要のない夜などは、スリープモードに移行することがプログラム上でも推奨されている。

 

だが、私は全くそうしていない。

マスターには悪いが、私はエネルギーを節約する気など毛頭ない。

 

それは何故か。

 

o川*^ー^)o「…ふふ。皺寄ってる」

 

単純な話である。

私は、マスターの寝顔を見るのが大好きなのだ。

 

 

111: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:31:08 ID:7OkpXiWY0

 

マスターにも家族はいる。気心知れた友人さんたちもいる。

…正直気に食わないが、職場には仲の良い女性の知り合いもいるらしい。

 

だが、いくら仲が良くても、彼らはマスターの寝顔を毎晩見ることはできない。

 

彼らは知らない。マスターが夜中に何度寝返りを打つのか。どんな顔で眠るのか。

私だけの特権。マスターが、私にだけ毎日見せる顔。

それを見るのが、楽しくて、愛おしくて堪らないのだ。

 

 

112: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:32:15 ID:7OkpXiWY0

 

 

o川*゚ー゚)o「……好きです」

 

o川*゚ー゚)o「大好き、です。マスター」

 

 

頬に触れながら、言えずじまいだった言葉を口にした。

ずっと言いたかった、言えなかった、言おうともしなかった、諦めの言葉。

 

 

……眠っていれば、こんなにあっさり言えるのになぁ。

 

 

113: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:33:56 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「私が、どんな想いで貴方の寝顔を見てるか、知ってますか」

 

聞いていないのをいいことに、話を続ける。

未だにマスターからは静かな寝息が聞こえるままだ。

 

o川* ー)o「貴方の寝顔を見る度に、その度に、貴方のことが好きになるんです」

 

o川* ワ)o「…おかしいですよね、私、人間じゃないのに。ただの、ちょっと便利なロボットなのに」

 

髪を梳く。彼が私にしてくれたように。

起こさないように、それでいて自分の恋心を満たせるように、ゆっくりと優しく髪を撫でる。

 

 

114: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:35:42 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「…私は人間みたいに夢を見れませんけど」

 

o川*゚ー゚)o「たまに、“夢を見てるんじゃないか”って、思うことがあるんです」

 

 

最近、稀に不思議な感覚に襲われることがあった。

 

本当の私は、暗い、土の中のような場所にいるのではないか。

そんな感覚がしたかと思えば、今度は、マスターの身体の一部になったような。

はたまた、どこか遠い雲の上から、呆けたように街を見下ろしているような感覚になることもあった。

 

どれも説明し難い、ただの不具合と一蹴するにはあまりに不思議な現象。

その感覚に襲われた一瞬の後、マスターの元気そうな顔を見る度に、こう思うのだ。

 

 

――私は今、幸せな夢の中にいるのではないか、と。

 

 

115: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:36:54 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「怖いんです。“おやすみ”って貴方に言われた後の、一人の夜が」

 

o川* ー)o「スリープモードにして、朝にそれが解除されて、目を開けた時」

 

o川* ー)o「目の前に貴方がいなかったらって思うと、途端に、起きていたくなるんです」

 

馬鹿みたいな妄想だ。何の根拠もない言い訳だ。

人間ならいざ知らず、夢も見れないアンドロイド風情が何を感傷に浸っているのか。

それでいざというときにエネルギー不足に陥ったらどうするのか。

 

分かっている。理解している。

それでも、貴方の寝顔から目を離すのが、どうしても嫌だった。

 

 

116: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:38:33 ID:7OkpXiWY0

 

o川* ー)o「貴方はきっと、知らないんでしょうね」

 

私が貴方に、どれほど重い想いを抱いているのか。

貴方がこちらを見てくれない未来を想像しては、どれほど心を痛めているのか。

隣に貴方がいることに、私が毎日、どれほど心を躍らせているのか。

 

髪からゆっくり頬へと手が流れていく。

手のひらから伝わる体温に、私の胸が安堵する。

 

o川* ー)o「話をする度に、触れられる度に、寝顔を見る度に」

 

o川* ー)o「昨日より、もっと貴方のことが好きになる。貴方に落ちていく。嵌まっていく」

 

捨てなければ。切らなければ。

分かっていながら抱えていた想いは、いつの間にか、私の処理能力なんかでは片づけられないくらいに大きなものになっていた。

 

 

117: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:40:26 ID:7OkpXiWY0

 

きっと、この想いに際限なんてものはない。

明日の私はきっと、今日の私よりもずっと、貴方のことが好きになっているのだろう。

 

o川* ー)o「………マスター」

 

言葉を区切り、頬を撫でる。

風に髪が揺られる中、閉じられている瞳を見つめた。

世界の何よりも、誰よりも、神様よりも、愛おしい人。

 

 

 

o川* ー)o「私は」

 

 

o川*゚ー゚)o「――毎晩、貴方に恋をしているんです」

 

 

118: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:42:24 ID:7OkpXiWY0

 

 

 

――強く、冷たい秋風が吹いた。

 

 

 

空に咲いていた紅葉が舞い、数えきれないほどの葉が宙をひらひらと滑空していく。

その内の一枚が、はらりとマスターの頭に乗った。

 

私にはそれが、何故だかとてもおかしく思えた。

 

彼の頭に乗った紅葉を払うことなく、私は再びカップに紅茶を注ぎ、空いている手で残っていた最後のスイートポテトを掴む。

満月のような円形に整えられたそれを一口で頬張り、濃厚な甘みを味わった後、ゆっくりと紅茶を飲む。

 

はぁっと息を吐き、健やかに眠ったままのマスターを見つめた。

 

 

119: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:44:10 ID:7OkpXiWY0

 

o川*゚ー゚)o「……ちょっとくらいなら、いいですよね」

 

カップを水筒へと戻し、すっかり空になった弁当箱を片付ける。

そして、ゆっくりとマスターのすぐ傍に移動し、ピタリとその身体をくっつけた。

 

o川* ー)o「30分…くらいだけ、だから」

 

コートを脱ぎ、マスターと自分に布団みたいに羽織らせる。

横にいるマスターから、心地よい体温が伝わってくる。

 

今日だけ、今日だけだと自分に繰り返し言い聞かせながら、久方ぶりのスリープモードを起動した。

 

 

o川*- ゚)o(……いや、やっぱり…)

 

o川*- -)o(…1時間……かな……)

 

 

 

o川*- -)o「………おやすみなさい、マスター」

 

 

120: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:44:43 ID:7OkpXiWY0

 

 

省エネ状態に入ろうと、完全に瞼が下ろされるその直前。

 

 

上空に咲き誇る、絢爛な無数の紅葉の隙間から。

私たちを優しく見守るような、淡く輝く月光が見えた。

 

 

121: ◆xBGwFOoFSw:2023/10/07(土) 00:46:27 ID:7OkpXiWY0

 

 

 

o川*゚ー゚)oFall in the every nightのようです

 

~おしまい~

​◆支援絵

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