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ミセ*゚ー゚)リ遠い国で死んだようです

 

【注意】性描写を含む作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

3:名無しさん:2023/10/10(火) 00:04:28 ID:2GPGL33s0

 

全日空便が羽田空港を発った時、私は旅に出る高揚感より安堵感に包まれていた。

 

もう私を調べ上げる者も責め立てる者もいない。

私という一人の人間を知る者などいない。

そんな楽園に私は旅立つのだ。

 

羽田空港からチャンギ国際空港までは約七時間。

私にとっては初めての海外旅行だ。エコノミーの席で体勢を少しずつ変えながら時間を過ごす。

シンガポール共和国。マレー半島の先にある都市国家。華僑が多いが旅行者は簡単な英語が話せれば良い。

有隣堂で買ったガイドブックで得た知識はそのぐらいだ。そもそも私はシンガポールにそれほど興味がなかった。

新婚旅行用にこっそり貯めていたお金で選べたのがシンガポールだった。憧れのハワイやバリ島、グアムは高かった。

ヨーロッパなんてもってのほかだ。

 

新婚旅行でもない、女一人の海外旅行。予算で選べた範囲の行き先。まぁ、そんなものだろう。

 

ミセ*゚ー゚)リ「ふう」

 

 

4:名無しさん:2023/10/10(火) 00:06:26 ID:2GPGL33s0

 

長いフライトを経てシンガポールの地に降り立つ。ターンテーブルでキャリーバッグを回収して進路を進む。

チャンギ国際空港は規模が大きい。とにかく広い。アジアのハブ空港の一つだけはある。

到着ロビーに出ると日本語が書かれたウェルカムボードを持ったガイドが待っている。

同じ全日空便に乗っていたのであろう日本人が集まっている。

ここからそれぞれの予約したホテルまで送迎されるのだ。

 

しかし到着ロビーを出て待っていたのはトヨタ・ハイエースだった。バスですらないのか、と落胆してしまう。

ハイエースなど日本であまりにも見慣れた車両で異国の地まで来た感慨すら奪われてしまうではないか。

 

ミセ*゚ー゚)リ「うわ」

 

外に出た途端にむわ、とした熱気に襲われる。

日本とはまるで違う。赤道が近いシンガポールは高温多湿だという。南国なのだ。

 

空港を出るとすぐハイウェイに出る。よく見るとハイウェイは左側通行だった。どうやらシンガポールは左側通行らしい。

アメリカはともかく近隣の韓国や台湾も右側通行なのでシンガポールが左側通行とは思いもしなかった。

それにハイウェイを走る車は日本車が多い。古い車だけではなくわりと新しめの車種も走っている。

 

とはいえ左側通行で日本車が多くともハイウェイはいかにも南国といった感じだ。

ハイウェイなのに左右に樹木が植えられていてそれほど景色は見えない。しかし車窓に着実にビルが増えていく。

坂を登り大きな橋に差し掛かると視界が一気に開けた。見渡す限りのビル群。シンガポールの中心地にたどり着いたらしい。

橋を渡り終えるとハイウェイが終わりハイエースは街中に出る。大きな噴水をぐるりと回ったところで私が泊まるホテルに着いた。

 

チェックインして部屋にたどり着くとキャリーバッグを手放してベッドに沈み込む。

アメリカやヨーロッパと比べれば同じアジアでそれほど遠くはない。しかし初めての海外旅行であり長いフライト時間で疲れている。

いったんこのまま眠ってしまおうか、とすら思ったけれど明確な眠気はやってこなかった。むくりと起き上がって荷物の整理をする。

 

ミセ*゚ー゚)リ「時間…もったいないか」

 

二泊三日。予算を天秤にかけた結果、決まった旅の時間だ。

時間に余裕がある訳ではない。キャリーバッグに再び鍵をかけて失ってはいけないものをハンドバッグに入れて部屋を出る。

ガイドブックを見ながらMRTという地下鉄の駅でスタンダードチケットという乗車券を買った。SuicaやPASMOのように見えるが回数券の類らしい。

プロムナード駅からMRTダウンタウン線で次のベイフロント駅まで。駅を出て歩道橋を歩くとガーデンズ・バイ・ザ・ベイに繋がっている。

ユニバーサル・スタジオ・シンガポールと並んで必ず行こうと思っていた場所だ。その歩道橋の途中で後ろを振り返ってみる。

 

ミセ*゚ー゚)リ「すっげ~…」

 

視界いっぱいにそびえ立つのはマリーナベイ・サンズだ。

湾曲した三つの大きなビルがフランクフルトのような屋上プールを支えている。シンガポールの顔とも言える高級ホテルだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「実物だ…」

 

 

5:名無しさん:2023/10/10(火) 00:07:27 ID:2GPGL33s0

 

シンガポールなんてこれまで興味もなかったのにマリーナベイ・サンズぐらいは知っている。痛烈にシンガポールに来たんだ、と実感させられた。

屋上のスカイパークには展望デッキやインフィニティプールがある。展望デッキには誰でも行けるがインフィニティプールは宿泊者だけだ。

あそこで泳いだらどれだけ気持ちがいいんだろう、と物思いにふける。

 

気を取り直してガーデンズ・バイ・ザ・ベイへ進む。広大な敷地を持つ植物園で、国立公園なので基本的に入場は無料だ。

入ってまず地上からにょきにょきと生えるいくつものスーパーツリーグローブが目に入る。木を模していて植物が巻き付いている。

更にそのスーパーツリーグローブから空中に飛び出すように遊歩道が弧を描くように架かっている。

 

少し離れて見てみると本物の樹木が鬱蒼と生い茂るなかを人工物のスーパーツリーグローブが突き出している。

不思議な光景だ。なんて未来的な植物園なんだろう。

 

暫く歩くと巨大な赤ちゃんの像に出くわした。白い巨大な赤ちゃんはまるで宙に浮いているように見える。

ガイドブックにも写真映えと書かれていたスポットだ。赤ちゃんの手前には看板があり作品名にPlanetと書かれていた。

 

ミセ*゚ー゚)リ「惑星ねぇ…あれ?」

 

ぽつり、と額に何かが当たる。雨粒だ。

間もなく暗くなってざあっと一気に雨が降り始める。

スコールだ。赤道直下近くのシンガポールはスコールが多い、そうガイドブックにも書いてあった。

 

ミセ*゚ー゚)リ「あっ…」

 

忘れてきてしまった。

折り畳み傘を日本から持参していたのにキャリーバッグの中だ。それでは意味がない。

途方に暮れる。赤ちゃんの像は開けた場所にあって雨宿り出来そうな構造物もない。

小走りに来た道を戻るもスコールはあっという間に私の身体を濡らしていく。

 

ミセ*゚ー゚)リ「はぁ…」

 

容赦ないスコールで私は全身ずぶ濡れになってしまった。

もう走る必要もない。とぼとぼと道を戻る。

 

 

6:名無しさん:2023/10/10(火) 00:08:42 ID:2GPGL33s0

 

あの日も、雨だった。天気予報になかったにわか雨。

お気に入りの服も気合いを入れたメイクも巻いた髪も驟雨によって洗い流されてしまった。

順調に進んでいく過程にある食事会だと思っていた。着飾っていった自分があまりにも滑稽だった。

あのような糾弾の場になるとは思わなかった。これまでの時間が完全に打ち切られてしまうとは思わなかった。

 

私の足は止まってしまう。あの日と同じだ。

駅までの道、驟雨が全身を濡らしていく。誰も気に留める人はいない。

私は糾弾されるだけだ。調査され、追求され、罵声を浴びせられる。

捨てられたはずなのに私に裏切られたと叫ばれる。

 

あの日と同じ。私はどこにも行けない。帰ればまた糾弾される。

はるか遠くの国まで来たというのに私はその傷から逃げられない。

どこに行っても一緒だ。その傷は私を追いかけてくる。私はその傷に追いつかれる。

私はどこにも行けないのだろうか。

 

ミセ*゚ー゚)リ「え」

 

ふと雨が遮られる。傘だ。

振り返ると女性が私を覗き込んでいた。

 

綺麗な顔。真っ先にそう思った。

なんて綺麗な顔なのだろう。

 

川 ゚ -゚)「大丈夫?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あっ、あのっ…」

 

話しかけられて我に返る。

あまりにも綺麗で整った顔に見とれてしまっていた。

 

ミセ*゚ー゚)リ「あれ、というか日本語…」

 

 

7:名無しさん:2023/10/10(火) 00:10:14 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「良かった、やっぱり日本人か。 どうしたんだ、こんなスコールなのに」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あ、あの…傘をホテルに忘れてしまって」

 

川 ゚ -゚)「そうか…こんなに濡れてしまって、寒いだろう。 シャワーを浴びるといい」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え、でも」

 

川 ゚ -゚)「すぐ近くなんだ、私が泊まっているところ」

 

そう言って女性が指をさす。植物園の向こうに鎮座する巨大な構造物。

 

川 ゚ -゚)「マリーナベイ・サンズ」

 

 

 

憧れのマリーナベイ・サンズの客室は絨毯がふかふかでいかにも磨き抜かれた空間といった感じだ。

バスルームも大きな一枚鏡に滑らかな曲線を持つバスタブが置かれていている。

厚いガラスで覆われたシャワーブースは壁や床が大理石だ。

 

ただシャワーが固定式でなかなか難しい。海外ドラマで見たままだ。

日本では一般的なハンドタイプのシャワーがいかに便利か痛感させられる。

シャワーを出て分厚いバスローブを着て部屋に戻った。

 

川 ゚ -゚)「あぁ、出たか。 服は乾かしている最中だ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あ、ありがとうございます」

 

川 ゚ -゚)「スコールはやんだみたいだな。 見るかい?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え」

 

女性が壁のスイッチ類を操作する。駆動音と共にカーテンが自動で動き始めた。

 

ミセ*゚ー゚)リ「う、うわー…!」

 

開かれたカーテンからシンガポール中心部の景色が飛び込んでくる。

湾を挟んだ向かい側はラッフルズ・プレイスの超高層ビル群だ。

その脇には白亜のエンプレス・プレイス。奥にはずっとビル群が続いている。

 

 

8:名無しさん:2023/10/10(火) 00:12:12 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「ほらあそこ、マーライオン」

 

ミセ*゚ー゚)リ「ほんとだ!」

 

湾の向こうに水を吐くマーライオン像が見える。

随分と大きいはずなのにこの高層階からは小さく感じる。

 

川 ゚ -゚)「マーライオンってシンガポール内にいくつかあるんだ。 でもあのマーライオン公園のが本家」

 

ミセ*゚ー゚)リ「す、すごい景色ですね…」

 

川 ゚ -゚)「私も気に入っているんだ…ほら、これを飲んで」

 

私がシャワーを浴びている間に淹れてくれていたらしい紅茶が窓際のテーブルに置かれる。

招かれるままソファーに座った。カップを手に取り近づける。香り高い。そしてとてもフルーティだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「あっ…ベリーだ。 すごくおいしい」

 

一口飲むと上品さが分かる。普段飲んでいるものとは比べ物にならない。

 

川 ゚ -゚)「シンガポールといえばTWG Teaだよ。 その定番のブラックティー。 私も初めて飲んだのがこれだった」

 

ミセ*゚ー゚)リ「ほんとうにおいしいです」

 

川 ゚ -゚)「下のザ・ショップスに店舗があるからお土産に買っていくといい。 日本にも店舗はあるけどこちらで買うほうが遙かに安い」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あの、こんなに色々とありがとうございます…えっと」

 

あぁ、と女性が頷く。

 

川 ゚ -゚)「私はクー。 同じ日本人だよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私はミセリっていいます…あの、どうして日本人だと?」

 

川 ゚ -゚)「だって日本で流行っている服だからね」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あぁ…」

 

少しばかり恥ずかしくなる。日本では溶け込んでいても、海外ではそう見られる事もあるのだ。

 

川 ゚ -゚)「シンガポールには、一人で?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はい。 二泊三日の旅行で、今日来たばかりです」

 

 

9:名無しさん:2023/10/10(火) 00:14:18 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「ふむ…このあと予定は?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「いえ、特には…」

 

川 ゚ -゚)「そうか、ならシンガポールを案内しよう」

 

ぱん、とクーが手を叩く。

 

ミセ*゚ー゚)リ「えっ」

 

川 ゚ -゚)「まずは夕食に行こう。 メイクし直さないとな」

 

窓際のテーブルにメイクボックスが置かれる。

 

ミセ*゚ー゚)リ「う、うわ」

 

整然と仕舞われていたのはどれも高級コスメだ。

いや、マリーナベイ・サンズに宿泊しているのだから不思議ではない。金銭的にかなり余裕のある人なのだろう。

それにどうやらクーは一人で宿泊しているらしい。

 

川 ゚ -゚)「日本のどこから来たの?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「神奈川です」

 

川 ゚ -゚)「横浜とか?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「いやもっと西の方です」

 

川 ゚ -゚)「じゃあ飛行機は成田から?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「いや、羽田でした」

 

川 ゚ -゚)「あー国際線で羽田からはいいね、成田は遠くって」

 

ミセ*゚ー゚)リ「遠いですよね、前に国内線の格安便取った時、東京からってなってて羽田だろ~って思ってたら成田で…」

 

川 ゚ -゚)「あぁ、国内線LCCに羽田の便はないからね」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そうなんですよ…成田って特急だと高いしバスだと絶対渋滞するしで…」

 

川 ゚ -゚)「成田って東京から新幹線で結ばれるはずだったんだよ。 ディズニー行く時に東京駅で京葉線に乗り換えようとするとすごく遠いでしょう?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「すっごく遠いです!」

 

川 ゚ -゚)「あそこに成田新幹線の駅が出来るはずだったんだよ。 それに反対運動もあって拡張出来ずに成田は東アジア一のハブ空港になり損なった」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はぁ…」

 

川 ゚ -゚)「よし出来た」

 

 

10:名無しさん:2023/10/10(火) 00:16:05 ID:2GPGL33s0

 

卓上ミラーを見てびっくりする。自分ではないみたいだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「高級コスメってすげー…」

 

川 ゚ -゚)「素材がいいからだよ。 行こうか」

 

乾いた服を着て部屋を出る。ベイフロント駅からMRTダウンタウン線に乗りジャラン・ベサール駅で降りる。

地上に上がると先程までの中心地から少し離れているようで二階建ての商店街が続いている。

クーは慣れた足取りで人が一人しか通れないようなコンクリートの狭い歩道もすいすい進んでいく。

深緑の共通のゴミ箱やプランターが歩道ギリギリまで置かれていて歩きづらい。

歩道と店舗の軒先との区別がつかないような場所を歩き続けるとクーが歩みを止めた。

 

川 ゚ -゚)「着いたよ」

 

ヒルマン・レストランと書かれた店にクーが入る。レストランとはいえ大衆食堂の装いだ。

壁には写真と文字で説明書きがなされている。日本語のものもあった。

 

川 ゚ -゚)「日本人観光客や在留邦人にも人気の店でね。 何よりもペーパーチキンだ」

 

クーが慣れた様子で注文する。ペーパーチキン。紙の鶏。想像出来ないでいると食事が運ばれてくる。

 

ミセ*゚ー゚)リ「わ~!」

 

皿に盛られているのは紙に包まれて焼かれたチキンだ。

醤油ベースだろうかタレが染み込んでいて香ばしい匂いがほんのり漂ってくる。

 

ミセ*゚ー゚)リ「なるほどペーパーチキンだ…」

 

まるで皮のような薄い紙に包まれている。

 

ミセ*゚ー゚)リ「どうやって食べるんですか?」

 

川 ゚ -゚)「箸で割って食べるんだ。 小籠包ほどではないが肉汁が出てくるぞ」

 

教わった通りに箸でそっと紙を破る。どっと肉汁が溢れて閉じ込められていた香ばしい匂いが一気に襲ってくる。

旨味がぎゅっと詰まった熱々のチキンを頬張る。熱い。でもおいしい。

 

川 ゚ -゚)「熱いけどおいしいって顔をしてる」

 

ミセ*゚ー゚)リ「その通りです」

 

他にご飯物や炒め物が来る。てきぱきとクーが取り分けてくれる。

 

川 ゚ -゚)「いい食べっぷりだなぁ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そういえば機内食で食べて以来だったので…。 そういえばカップの水が飲みづらかったです」

 

川 ゚ -゚)「分かる。 こぼしそうになるんだよな」

11:名無しさん:2023/10/10(火) 00:17:41 ID:2GPGL33s0

 

食事を終えて外に出るとすっかり暗い。

 

川 ゚ -゚)「ちょうどいいな。 光と水のショーが見られる」

 

ファーラー・パーク駅からMRT北東線に乗り、ドビー・ゴート駅でMRT南北線に乗り換える。

ラッフルズ・プレイス駅で降りて大きな通りを渡るとマーライオン公園に出る。さっき見ていたマリーナベイ・サンズの対岸だ。

 

川 ゚ -゚)「ほら、それがマーライオン」

 

ミセ*゚ー゚)リ「うわー大きい!」

 

ライトアップされたマーライオンはやはり大きい。海に向かって水を吐き続けている。

その周囲では多くの観光客が写真を撮っている。向かいには湾に突き出すように桟橋が架かっていてマーライオンの正面側に行けるらしい。

マーライオンの吐く水を口で受け止めるトリック写真はどうやらあの桟橋で撮影出来るようだ。

 

川 ゚ -゚)「そろそろだね」

 

湾を挟んだ向こうにはすっかり暗くなったなかでも圧倒的な存在感を持つマリーナベイ・サンズ。

水辺の遊歩道にはたくさんの観光客が集まって手すりの前を陣取っている。

 

ミセ*゚ー゚)リ「光と水のショーってなんなんですか?」

 

川 ゚ -゚)「本当に名前の通りのショーだよ」

 

始まったのは本当に名前の通りのショーだった。様々な噴水と照明が織りなすショーだ。

高々と噴き上がる噴水もあれば霧のような繊細な演出をする噴水もある。

色んな角度から設置されたライトがめまぐるしく変わる。

マリーナベイ・サンズからレーザーが射出されて水面を怪しく照らし出した。

緑色のレーザーを放つマリーナベイ・サンズはまるで巨艦のようだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「わ~すごいすごい!」

 

川 ゚ -゚)「ふふ」

 

ショーが終わってもまだ余韻が残っているようだ。ゆっくりと観光客が散っていく。

 

川 ゚ -゚)「すっかり楽しんでくれたみたいだね」

 

ミセ*゚ー゚)リ「ありがとうございます、本当に楽しかったです」

 

川 ゚ -゚)「あの時、声をかけて良かったよ。 雨に打たれた猫みたいで」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あ…あはは…」

 

川 ゚ -゚)「こんな遠い国まで来て、自殺でもするんじゃないかって心配になったぐらいだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「自殺なんてそんな…」

 

でもこんな遠い国に来ていても私は過去に捕らわれている。

過去の傷は私を追いかけ、追い詰め、飲み込んでしまう。

 

 

12:名無しさん:2023/10/10(火) 00:19:30 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「明日の予定は?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「明日はユニバーサル・スタジオ・シンガポールに行こうと思っていました」

 

川 ゚ -゚)「オプションで取っているの?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「いえ、オプションは高くて…」

 

川 ゚ -゚)「なら連れて行ってあげる。 一緒に行こう。 案内するよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え、いいんですか、お仕事とかは」

 

川 ゚ -゚)「私は退屈を謳歌しているんだよ、毎日ね」

 

退屈を謳歌、と口の中で繰り返してみる。それについて掘り下げたりはしない。

 

川 ゚ -゚)「じゃあまた明日だ。 駅まで送ろう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あ…はい」

 

ラッフルズ・プレイス駅からMRT南北線に乗りマリーナ・ベイ駅でMRTダウンタウン線に乗り換える。

次のベイフロント駅でクーと別れて更にその次のプロムナード駅で降りた。

ホテルに戻ってメイクを落としてシャワーを浴びる。いつもの私の顔に戻っている。

 

不思議な一日だった。スコールに降られて動けなくなった私をクーが助けてくれた。

綺麗な人だった。髪も長くて流れるように美しい。

それでも私よりは一回り年上な気がする。

 

不思議な人だ。あのマリーナベイ・サンズに宿泊しているのに観光客といった感じがしない。

迷わずに地下鉄を乗りこなしているし、シンガポールに在住していると言われた方がしっくり来る。

それに金銭的に余裕がある。今日だってMRTの乗車賃から食事の支払いに至るまで全てクーが持っている。

 

けれど楽しみだ。言葉が通じない遠い国で日本人と行動出来るのは本当にありがたい。

楽しい一日だった。シーツにくるまりながら考える。

 

ミセ*゚ー゚)リ「明日も楽しみだな」

 

 

 

約束の時間にベイフロント駅で待ち合わせた。

 

川 ゚ -゚)「…若いなぁ」

 

ショートパンツから剥き出しの私の足を見てクーが呟く。

 

ミセ*゚ー゚)リ「クーさんだって別に…」

 

川 ゚ -゚)「いや私には無理だよ」

 

 

13:名無しさん:2023/10/10(火) 00:24:40 ID:2GPGL33s0

 

MRTダウンタウン線でチャイナタウン駅まで出て、MRT北東線に乗り換える。

地下鉄であるMRTの駅はどこもホームが広く、何より清潔だ。ホームドアも天井まであるもので東京の南北線に似ている。

日本とまるで違うのは座席が駅のベンチにあるようなプラスチック製なのだ。当然ながら固くて座り心地は悪い。

私が座っているあいだちょっとずつ体勢を変えるのをクーが笑った。

 

川 ゚ -゚)「シンガポールの地下鉄で禁止されているものって何だと思う?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…タバコですか」

 

川 ゚ -゚)「うん、禁煙は正解。 あと飲食も禁止」

 

ミセ*゚ー゚)リ「飲食も…厳しいですね」

 

川 ゚ -゚)「あとはドリアンの持ち込み禁止」

 

ミセ*゚ー゚)リ「えっドリアンですか?」

 

川 ゚ -゚)「ほら」

 

クーが指し示した先には禁止項目のステッカーが貼られていた。

ドリアンらしきものが禁止されているピクトグラムが書かれている。

 

ミセ*゚ー゚)リ「ほんとだ…」

 

川 ゚ -゚)「プラスチックの座席も固いよな、日本のふかふかのシートが懐かしいよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はぁ…」

 

ハーバー・フロント駅で地下鉄を降りる。クーはエスカレーターを上がりショッピングセンターのなかをずんずん進んでいく。

こんな先に駅があるのだろうか、と不安になっていると急に改札口が現れた。

 

川 ゚ -゚)「ヴィヴォシティ駅からはセントーサ・エクスプレスだ。 橋を渡ればもうセントーサ島だよ」

 

待っていたのは二両編成のモノレールでまるで沖縄のゆいレールみたいだ。

ヴィヴォシティ駅を出て程なくすると海を渡り始める。

 

川 ゚ -゚)「セントーサ島は観光都市シンガポールのなかでもかなりのリゾート地なんだよ」

 

向かいにはコンテナばかりが大量に積まれた島も見えるのに、モノレールはいかにも南国の観光地といった様相のセントーサ島に入った。

 

ミセ*゚ー゚)リ「おぉ~!」

 

リゾート・ワールド駅で降りて屋根伝いに歩いていくとユニバーサル・グローブが出迎えた。お馴染みの大きな地球儀だ。

立派であるものの大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンより一回り小さい気がする。

 

 

14:名無しさん:2023/10/10(火) 00:26:01 ID:2GPGL33s0

 

チケットを購入して真上にモノレールが走るゲートを通る。

入ってすぐにハリウッドの街並み。その先はニューヨークだ。

ニューヨークの街並みなのにいかにも中国風の装飾がなされているのが華僑の多いシンガポールらしい。

 

トランスフォーマー・ザ・ライドやシュレック 4-D アドベンチャーなど人気のアトラクションを立て続けに乗る。

更に長ぐつをはいたネコの大冒険、リベンジ・オブ・ザ・マミーに乗ったところでクーが音を上げる。

 

川 ゚ -゚)「若い」

 

ユニバーサル・スタジオ・シンガポールはジャパンと比べると規模が小さい。数時間で一周出来てしまう。

 

川 ゚ -゚)「楽しかったかい?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「楽しかった!」

 

お土産も買ってユニバーサル・スタジオ・シンガポールを後にする。

再びリゾート・ワールド駅からセントーサ・エクスプレスに乗りヴィヴォシティ駅まで戻る。

 

川 ゚ -゚)「せっかくだし買い物に行こう。 タピオカは好きかい?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「好きです!」

 

川 ゚ -゚)「よろしい」

 

ハーバー・フロント駅からMRT北東線に乗り、アウトラム・パーク駅からMRTトムソン・イーストコースト線に乗り換える。

オーチャード駅で降りて地下街のタピオカミルクティーの店舗に立ち寄った。

 

ミセ*゚ー゚)リ「おいっしい! なにこれ!」

 

川 ゚ -゚)「シンガポールは本場台湾の店舗が多く出店しているんだ。 日本で飲むのよりも美味しいよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「う、うわ~日本に持って帰りたい~」

 

エスカレーターを上がって地上に出る。

 

川 ゚ -゚)「オーチャードはシンガポール随一のショッピング街なんだ。 このアイオンオーチャードもフラッグシップ的な存在だな」

 

地上に出て振り返るとガラス張りでありながら複雑な曲線を描く建物があった。今までこの地下にいたらしい。

ルイ・ヴィトン、ディオール、ティファニー、ドルチェ&ガッバーナとハイブランドばかりが店舗を構えている。

オーチャード・ロードを進むと伊勢丹、高島屋と日本でもお馴染みの百貨店が軒を連ねる。

シンガポール随一のショッピング街という呼び名は間違いないらしい。

 

 

15:名無しさん:2023/10/10(火) 00:27:38 ID:2GPGL33s0

 

赤道に近いシンガポールは高温多湿で蒸し暑い。

ガンガンにエアコンの効いた店舗と外を行き来していると汗がひいたりどっと吹き出したり忙しい。

 

川 ゚ -゚)「随分と汗をかいてしまったな」

 

ミセ*゚ー゚)リ「日焼け止めはバッチリなんですがこうも暑いと汗は止まらないですね…」

 

川 ゚ -゚)「私は外出して汗をかくと決まって屋上のプールでひと泳ぎするんだが…」

 

ミセ*゚ー゚)リ「えっ」

 

川 ゚ -゚)「一緒に泳ぐかい?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「えっ、インフィニティプールでですか!?」

 

川 ゚ -゚)「せっかくシンガポールに来たんだからな」

 

ミセ*゚ー゚)リ「で、でも水着持ってきてないです」

 

川 ゚ -゚)「それも買ってあげる」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そんな何から何まで…」

 

川 ゚ -゚)「いいんだいいんだ」

 

サマセット駅からMRT南北線に乗り、マリーナ・ベイ駅からMRT環状線に乗り換えてベイフロント駅に戻る。

マリーナベイ・サンズの足元にあるザ・ショップスを歩く。屋内なのに小さな運河が流れていて小ぶりの船まで運航されている。

あっという間に水着を買ってもらいクーの部屋で着替えてバスローブを羽織る。そのままエレベーターで屋上に上がる。

 

ものすごいスピード感で進んでいる。本当に現実なのだろうかと、異国の地でどこか不思議に思ってしまう。

 

マリーナベイ・サンズのホットドッグみたいな部分、スカイパーク。

展望デッキには誰でも入れるものの多くを占めるインフィニティプールに立ち入れるのは宿泊者だけだ。

言うまででもなくシンガポールにおけるフォトジェニックの最高峰である。まさかたどり着けるとは。

 

ゲートを出ると灼熱の太陽が照りつける屋上のプールだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「う、うわ~~~!」

 

 

16:名無しさん:2023/10/10(火) 00:29:58 ID:2GPGL33s0

 

ガイドブックで見た光景。現実で見ると圧巻だ。

シンガポールのビル群に向かって水面が続いている。

水面には終わりがなく無限に続いているように見える。まさにインフィニティプールの名前の通りなのだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「ど…どうなってるんですかこれ」

 

川 ゚ -゚)「自分で見てみるといい」

 

プールに入ってざぶざぶと進んでいく。シンガポールの街並みが近づいてくる。超高層の屋上プールから落ちてしまう錯覚に襲われる。

 

ミセ*゚ー゚)リ「な…なるほど」

 

水面の終点にはきちんと排水ゾーンがあって溢れた水はそこに流れ落ちていた。

排水レーンの先に見えないように低く設けられた壁があって更にその先にきちんとフェンスがある。

よほど変な気を起こさない限りは転落などしようがないようだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「と…撮るぞ」

 

ウッドデッキから撮影すると水平線の向こうにシンガポールの街並みが見える構図の映え写真が撮れる。

プールの排水レーン手前で撮影するとシンガポールの街並みを背景に自撮りが出来る。

ラッフルズ・プレイスの超高層ビル群に白亜のエンプレス・プレイス。

ガラス越しではない地上二百メートルから眺める景色は壮観だ。

 

ウッドデッキにはずらずらっとプールサイドチェアが並んでいる。背中が浮き上がるような形状で景色をよく眺められるよう設計されている。

さんざん写真を撮って戻るとクーはそこに寝転がっていた。チェアのちょうど良い位置に穴が空いていてドリンクホルダーになっている。

クーは柑橘系らしきカクテルを飲んでいた。

 

川 ゚ -゚)「ここで風に吹かれながら夕陽を眺めるのが好きなんだ」

 

隣が空いていたので自分もそれに倣う。なるほど、水面の向こうの街並みにゆっくりと沈み始めている夕陽が見える。

インフィニティプールがオレンジに染まっていく。逆光になったプールを泳ぐ人影が黒く塗りつぶされる。

チェアに横たわりカクテルを傾けるクーは本当に美しかった。ついスマホを向ける。

 

ミセ*゚ー゚)リ「撮っていいですか」

 

川 ゚ -゚)「撮ってから訊いただろう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あんまりにも綺麗だったので魔が差しました」

 

川 ゚ -゚)「犯罪者みたいなコメントだ」

 

くっくとクーが笑う。

 

川 ゚ -゚)「私のはSNSにはあげるんじゃないぞ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「…やっぱり芸能人か何かですか?」

 

川 ゚ -゚)「そんな事はないよ」

 

 

17:名無しさん:2023/10/10(火) 00:32:04 ID:2GPGL33s0

 

あまりにも写真映えするサンセット。ゆっくりと時間をかけて太陽が沈んでいく。

夜が始まる。あんなにも明るかった空を夜の色が侵略し始めている。

じわじわと空が新しい色に塗りつぶされていく。

 

川 ゚ -゚)「戻ろうか」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はい」

 

ザ・ショップスで食事をして腹ごなしに外でも散歩をしようとクーが誘った。

外、と訊き返してから気がついた。マリーナベイ・サンズの外となればガーデンズ・バイ・ザ・ベイに決まっている。

昨日はスコールに降られて中途半端にしか見ていなかったんだった。

 

川 ゚ -゚)「夜も綺麗なんだよ」

 

クーの言葉通り、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイは昼間に見た時とは全く印象が異なった。

ライトアップされたスーパーツリーグローブは背後のマリーナベイ・サンズと相まって妖艶ですらある。

人工の枝はまるで血管のようだ。真下から見上げるとまるで花を咲かせているようにも見える。

 

まだ入場出来るという事で室内型植物園のクラウド・フォレストに入った。

大きなガラスのドームの中に小高い山が鎮座している。ドーム状の巨大な温室なのだという。

小高い山には滝があって近くまで行くと霧のように降ってきて涼しく感じられる。

麓から遊歩道が続いていて山の上まで進む事が出来た。

 

川 ゚ -゚)「屋内でゆっくり見て回れるからスコールに降られた時はここに来るのがいいんだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ昨日の私は最悪な例でしたね」

 

涼しいドームから外に出る。夜だというのにまだむわっとした感じだ。

 

川 ゚ -゚)「あそこで雨に打たれている君を見た時に、声をかけなきゃいけない…そんな気がしたんだよ。 普段は厄介ごとには関わらない人間なのに」

 

ミセ*゚ー゚)リ「どうして…ですか?」

 

川 ゚ -゚)「ただ可哀想だったのもあるが…思ってしまったんだ。 この子はすとん、と何かが抜け落ちてしまっている」

 

それこそ、とクーが続ける。

 

川 ゚ -゚)「この子は自分の死に場所でも探して来たんじゃないかって」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そんな事…ないですよ」

 

 

18:名無しさん:2023/10/10(火) 00:32:56 ID:2GPGL33s0

 

そんな事、ない。死ぬためにシンガポールにやって来た訳ではない。

新婚旅行でもない、女一人の海外旅行。

傷心旅行。逃避旅行。

 

ミセ*゚ー゚)リ「…逃げてきただけです」

 

楽しい一日だった。

朝からユニバーサル・スタジオ・シンガポールに行って、オーチャードでショッピングをして、憧れのインフィニティプールを泳いだ。

スコールに降られて打ち切られたガーデンズ・バイ・ザ・ベイのリベンジも出来た。文句なしの一日だ。

二泊三日の旅行は明日で終わる。昼の羽田空港行きの飛行機に乗って、帰らなければならない。

 

ミセ*゚ー゚)リ「逃げてきたんです、私」

 

あぁ、ダメだ。私の足はまた止まってしまう。

明日の今頃は遠く離れているはずの日本に帰っている。現実に帰っている。

今までの生活に帰っている。帰ってしまう。

 

ミセ*゚ー゚)リ「帰りたくない…」

 

スコールは降らない。生暖かい風だけが頬を撫でる。

クーが俯いたまま立ち止まる私の手を取る。

 

川 ゚ -゚)「歩き疲れただろう、少しぬるいぐらいのお湯をバスタブに溜めよう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「…え?」

 

川 ゚ -゚)「今日は泊まっていくといいよ」

 

クーに導かれるままマリーナベイ・サンズの部屋に招待される。

滑らかな曲線を持つバスタブにはちょうど良いぐらいの温度のお湯が張られている。

身体を沈み込ませると声が漏れる。一日歩き疲れた身体がゆっくり時間をかけてほぐされていく。

 

 

19:名無しさん:2023/10/10(火) 00:33:52 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「なんというか…君を一人にさせるのは心配だな」

 

お風呂を出るとクーがドライヤーで髪を乾かしてくれる。

誰かに髪を乾かしてもらうなんて、いつぶりだろう。

 

ミセ*゚ー゚)リ「お母さんみたい」

 

川 ゚ -゚)「こんなに大きな子を産んだ覚えはないなぁ」

 

そうだ、そんなのはお母さんだけに決まっている。

幼い頃はこうしてドライヤーでお母さんに髪を乾かしてもらったんだ。

最後に乾かしてもらったのはいつだろう。きっとずっと前だ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「私、母子家庭だったんです。 昔はこうしてよく髪の毛を乾かしてもらった」

 

お母さん。私にとっての全てだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「私、お母さんが大好きで大嫌いなんです」

 

 

 

物心ついた頃には既に父親はいなかった。

お母さんは父親について何も語らなかったし何も残さなかった。

アルバムどころか家族写真の一つもなかった。

 

お母さんは父親が事故で亡くなったとも病気で亡くなったとも何らかの理由で離婚したとも説明しなかった。

父親の話をすると途端に不機嫌になるのだ。お母さんの不機嫌は長い。お母さんに機嫌を損ねるのは避けなければならない。

私にとって父親の話はタブーになっていった。気にはなるのだけれど、訊く勇気がなくなっていった。

 

ドラマで父親役の俳優を見たり運動会で同級生たちの父親を見るたびに思い出すのだけれど、訊く事が出来なかった。

自分が大きくなればいつかお母さんが自ら話してくれるのではと幼いながらに自分に言い聞かせた事もある。

まだ自分が子供だから話してくれないのだ。難しい話だから大人になれば話してくれるのでは、と。

しかし成人してもお母さんが話してくれる事はなかった。いつまでも父親に関してはタブーのままだ。

 

そしてお母さんは親族との関係を完全に絶っている。

父親はともかく祖父母にすら会った事がないのだ。祖父母について訊いても父親ほどではないもののお母さんは不機嫌モードになる。

物心ついた頃から賃貸のアパートに住んでいるし親族との関係も絶っている。大きくなってから私なりに予想はしていた。

大人になってからこっそり役所に行って戸籍の証明書を請求した事がある。予想通りで、父親の欄は空白だった。

 

生まれた時から父親がいない。親族もいない。お母さんとずっと二人で暮らしてきた。

私にとってお母さんとはこの世の全てだ。

 

 

20:名無しさん:2023/10/10(火) 00:35:09 ID:2GPGL33s0

 

('、`*川「ミセリはほんとうにかわいいね」

 

お母さんは不機嫌モードに入らなければ優しい母親だ。

私の身なりに気を使ってくれるし可愛い洋服も着せてくれる。

母子家庭で裕福とは程遠く壁の薄いアパートだったけれど着るものにはきちんとお金を出してくれた。

 

('、`*川「女の子には絶対的な価値があるの」

 

お母さんは若くて綺麗で小学校の授業参観でもみんなの目を引くほどだった。

夕方になると仕事に出て朝になると帰ってくる。お母さんを起こさないように私はそっと学校に行った。

食事を作る事も家事をするのも覚えた。母子家庭なのだし、二人で生きていくしかない。

お母さんが仕事に出ている間に家の事をこなすのが当然の務めだと思っていた。

そしてお母さんもそれが当然だと考えていた。

 

朝になってお母さんが帰ってきて皿洗いが終わっていなかったりお風呂に赤カビがあったり掃除機がかけられていないと途端に不機嫌になる。

 

('、`*川「お母さんが仕事しているあいだずっと遊んでいたの?」

 

お母さんが不機嫌モードに入るとまだ眠っている私を揺り起こして語り始める。

私が何のために働いているのか。お金を稼ぐのがどれほど大変か。ミセリが食べるご飯もミセリが着ている服もどこからお金が出ているのか。

 

ミセ*゚ー゚)リ「それは…お母さんが働いているから…」

 

('、`*川「そうだよね」

 

毎日働いてへとへとになって帰ってきたのに家でも仕事をしなきゃいけないの。

お母さん一人だったらこんなに困らなかったのに。ミセリがいるからお金がかかるんだからね。

 

いつも繰り広げられる論調は私を不安にさせた。私にとってお母さんが全てだ。父親も親族もいない。

お母さんに捨てられたら私は生きていけない。その恐怖心は幼い頃から刷り込まれて私の身体に染み込んでいった。

最後に決まってお母さんは同じ台詞を言う。

 

('、`*川「お母さん、嫌いになっちゃうよ」

 

それはまさに呪詛だった。

私は何も反論出来ない。捨てられたくない。

 

ミセ*゚ー゚)リ「…ごめんなさい」

 

皿洗いをして掃除機をかけて遅刻ぎりぎりの時間になって走って登校した。

私は就寝する前にきちんと全てを終わらせておく事を覚えた。朝になって帰ってきたお母さんが不機嫌にならないように。

同級生の友達の言うお手伝いとはあまりにも簡単なものだった。私のように本格的な家事をやっている子などいなかった。

お母さんが帰ってきてから洗濯機を回して干して登校して下校したら取り込んでアイロンをかけておく子はいなかった。

だけどそれは母子家庭だから。他の子たちと私の家庭は違うから。仕方のない事なんだ。

21:名無しさん:2023/10/10(火) 00:36:11 ID:2GPGL33s0

 

理不尽さ、というものを私は受け入れていた。気づいていたのだけれど気づかないふりをしていた。

私にはお母さんしかいない。

 

私はお母さんが好きだった。お母さんが私にとって全てだったから。

お母さんに褒められれば嬉しい。お母さんに叱られると辛い。お母さんは私にとっての基準で指標だ。

 

初めて生理が来たのは中学一年生だった。私はびっくりして家に帰ってから下着を水洗いしていた。

どうすればいいんだろう。このままではお母さんに怒られる。何らかの粗相をしてしまったんだ。

不安でいっぱいだったのに帰ってきたお母さんはそれを見つけて私の手を取って喜んでくれた。

 

('、`*川「おめでとう、あなたは大人になったのよ」

 

大人、と言われてもピンとこなかった。当時まだ成人年齢は二十歳だし私は中学一年生だった。

 

('、`*川「いつも言っているでしょう、女の子には絶対的な価値があるの。 ミセリにも絶対的な価値があるんだよ」

 

お母さんの言う意味は分からなかったけれど喜んでくれたのは嬉しかった。

 

('、`*川「その価値は一秒ごとに緩やかに失われていくの。 絶対的な価値は有限なの」

 

何週間か経って学校から帰るとお母さんは珍しく夕方なのに家にいた。

 

('、`*川「特別何もしなくていいの。 ミセリはただお客さんの言われた通りにすればいいんだから」

 

着替える事もなくお母さんに指示された場所へ出向くと見知らぬ男が車で待っていた。

四十代とか五十代ぐらいで、自分の父親もこのぐらいなのかなと思った。

もう手筈は整っているといった感じで男は私を車に乗せてさっさと出発させた。

車内でしたのは他愛もない話しだ。何年生なの、とか。最近は何が流行っているの、とか。

 

大事な大事なお客さんだからね、とお母さんから念を押されていた。お客さんとはお母さんの仕事の客なのだろうか。

お母さん同様に機嫌を損ねてはいけないと努めて明るく振る舞った。愛想良く男に話して返事をした。

 

到着したのはホテルだった。ホテルに泊まったのは小学校の修学旅行が最初で最後だったけれどそことは違う感じだった。

男はシャワーを浴びて出てきた時には裸だった。私は混乱したけれど、機嫌を損ねてはいけない、明るく振る舞わなければと動揺を押し殺した。

すぐに男が覆い被さってきた。私の何かを突き破って入ってきた時は痛みのあまり歯を食いしばった。

目をつむり、歯を食いしばる。耐えなければならない。機嫌を損ねてはいけない。明るく振る舞わなければいけない。

私のいつも着ている中学校の制服に男の汗がぼたぼたと垂れた。

制服は洗えない。クリーニングに出さないといけない。でもクリーニングにはお金がかかる…。

そう考えていると不意に男が大きな声を上げた。私の中に温度を感じた。

じんじんする痛みもその急に現れた温度も初めて感じるものだった。

 

 

22:名無しさん:2023/10/10(火) 00:37:25 ID:2GPGL33s0

 

いくら中学生の私にもこれが何を意味するのかは分かった。避妊具越しとはいえ大人のする行為だ。

でも帰るとお母さんは喜んで私を抱きしめてくれた。そして初めて回らない鮨屋に連れて行ってくれた。

もっちりとした赤身や脂の乗ったトロの味は今でも覚えている。回転寿司のとは違う、大人の味だった。大人の行為の報酬は大人の味だった。

 

('、`*川「これからはミセリも家計を助けるの。 二人で頑張ろうね」

 

笑顔で言うお母さんに私は頷くしかなかった。

これだけじゃないんだ、とは思った。でもこんなに喜んで回らない鮨屋に連れてきてくれたのが嬉しかった。

私にとってお母さんとはこの世の全てだ。

 

すぐにそれは日常になった。私にとってお母さんのお手伝い、の延長だった。

お母さんはどういうルートがあるのかお客さん、を見つけてくる。私は言われた通りに制服のまま出向いて男に会った。

さるがままという訳でもなくこうして欲しいああして欲しいと注文を受ける事もあった。その都度私は男に学んだ。勉強と同じだった。

 

制服がかわいいという理由だけでランクを下げて第一志望の高校を選んだ。アパートからむしろ遠く中学の担任の先生は首を傾げていた。

高校生になって身体も大人びてきて私はようやく気づいた。お母さんの言う、女の子には絶対的な価値がある、それは有限という意味を。

制服がかわいいと評判の高校は人気があった。制服姿で駅を歩いていると視線が追ってきた。身体のラインや短いスカートの裾を視線が追ってくる。

これが有限の価値なんだ。ブランドと言われるものなんだ。今しかない、有限の価値。有限のブランド。

 

かわいいと評判の制服を着るようになってからお客さんは増えた。駅を歩いていて視線で追ってくる人もいるのかな、なんて考えたりもした。

私がお客さんと会う回数が増えていくとお母さんが仕事に行く日は減っていった。まるで世代交代みたいだ。

 

本当は普通の高校生をしてみたかった。部活に入ってみたかった。青春をしてみたかった。

だけど学校が終わればシフトのようなお手伝いがある。いや、お手伝いなんかじゃない。仕事。シフトだ。

普通の青春を送れるはずもなかった。それに同級生の男子は私が会うお客さんと比べると、同い年なのに子供のように見えた。

話す時も胸に目線が落ちているしいクラスの女子の誰とヤレる誰とはヤレないみたいな話ばかりしている。

 

私は女子から少しばかり浮いていた。グループからは離れていた。決してそういう仕事をしていたのが露呈していた訳ではない。

ミセリは男子や先生と話す時に媚びているように見える、と裏で言われていたのだ。なかなか鋭いな、なんて冷静に思ってしまった。

お客さんと会う時は明るく振る舞うように努力していた。そういうのが滲み出てしまうのだろう。

気になる異性もいなければ友達もろくにおらず部活にも入っていない。せっかくかわいい制服の高校生活もそのまま終わった。

 

 

23:名無しさん:2023/10/10(火) 00:38:19 ID:2GPGL33s0

 

大学生ブランドだけあればいいから、とお母さんの勧めで大学に進んだ。

なるほど、大学生となるとまたお客さんの客層もちょっとずつ変わってくる。

女の子には絶対的な価値がある、絶対的な価値は有限というお母さんの言葉は理解出来た。

中学生でなければいけないお客さんがいて、高校生でなければいけないというお客さんがいて、大学生でなければいけないというお客さんがいる。

私はその年齢のブランドを売り続けて荒稼ぎをしている状態なのだ。それぐらいは分かった。社会的には認められない行為だというのも。

けれどお母さんはどういうルートがお客さんを斡旋してくるし私がこの仕事をしているぶんには不機嫌モードに入りづらい。

 

どれほどのお客さんを相手にしてきたのか数えられる訳がない。

でも父親の顔も知らないのにお客さんの多くは父親ぐらいなんだろうなという年齢の人だった。

私と同じ歳ぐらいの子供がいるんじゃないかななんて思っても顔には出さず明るく振る舞った。

倫理、なんてものは考えないようにした。考えなければ、それは私の中で存在を発揮しない。

 

私は私の価値がどれぐらいなのかお母さんに訊いた事がなかった。

中学生の頃の値段、高校生の頃の値段、大学生になった今の値段。そして中学一年生だった頃の私の処女の値段。

可視化されるのが正直怖かった。数字として見てしまえば急にリアル感が出てくる気がした。

概念としての価値ならばふんわりしている。

 

お母さんが喜んでくれる。私にとってお母さんとはこの世の全てだ。

 

('、`*川「結婚してほしい人がいるんだ。 優良物件を見つけてきてね」

 

結婚と優良物件という言葉がまるで遠いようで結びつけられなかった。

 

('、`*川「ワンマン社長の一人息子でねー、マザコンで童貞。 でも家は金持ち。 こんな優良物件なくなくない?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「う、うん」

 

('、`*川「母親はあたしがなんとかするからミセリはこの息子をまるめこんでほしいの」

 

ミセ*゚ー゚)リ「丸め込む…」

 

('、`*川「ホテルに連れ込めばいいの。 童貞なんだからセックスの味を知ったらすぐに食いついてくるから」

 

ミセ*゚ー゚)リ「うん…」

 

 

24:名無しさん:2023/10/10(火) 00:41:05 ID:2GPGL33s0

 

どう手配したのか暫くするとその日はやって来た。アサピーというその男と食事をする機会が設けられた。

 

(-@∀@)「ど、どうも、初めまして」

 

アサピーは神経質そうでよくどもってイメージしていた社長の息子とは違うものだった。

天然パーマで眉毛は整えられてもいない。けれど着ている服はブランドのものでシャツは襟まできちっとアイロンがかけられていた。

 

私はお客さんに対してされるがままであったり要望を叶えたりする事はあっても自発的にアプローチをした事などなかった。

アサピーの話は鉄道に始まり軍事的なものになり政治的なものにまで飛躍した。

らちがあかないなと思い食事が終わって思い切ってホテルに誘った。

それまで聞き手に徹していた私が切り出した事にびっくりしたのか大人しく着いてきた。

段取りのようなものもなく部屋に入ってもまごまごしていてそれとなくシャワーを浴びる事を仄めかすとたっぷり時間をかけて髪まで洗ってきた。

私がシャワーから出ると何故か元の服に着替えてきた。丁寧に脱がしていくとアサピーはひどく恥ずかしがる。

多少手荒でも必ず押し通す事、というお母さんの言いつけを守り下着を脱がすとまだ皮の被った陰茎が現れた。

でもそれは既に勃起を始めている。安心して時間をかけて口の中で皮を剥いていると不意に射精された。

ひどく狼狽したアサピーはそそくさと服を着てホテルを出ようとした。

失敗したのかもしれない、と反省していると数日後にはまた食事に行きたいと連絡が来ていた。

 

('、`*川「やったじゃん」

 

お母さんが嬉しそうに言ってくれた。私も嬉しくなった。これで良かったんだ。

 

次の食事でもホテルに行った。今度はきちんと最後まで進んだ。

行為の最中は滔々と語られる鉄道や軍事や政治の話がなくて楽だった。

回数を重ねるごとに二週間後、一週間後と間隔が狭まっていった。

食事とは名目のようなものでお母さんの言う通りにちょっと露出のある服を着ているとアサピーの視線は胸や足に吸い込まれていった。

私はアサピーの弱いところを見つけて重点的にそこを責めた。そうするとアサピーはすぐに射精した。

 

そうして回数を重ねて数ヶ月後、アサピーからホテルで終わった後にプロポーズを受けた。

私は服を着ている途中でドラマとかで見たのとは違うな、というのが最初の感想だった。

 

('、`*川「本当に!?」

 

帰って報告するとお母さんは飛び上がって喜んでくれた。

私を強く抱きしめて照れくさくなってしまった。

 

('、`*川「ありがとう…ミセリ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「なんでお母さんがありがとうって言うの?」

 

('、`*川「ミセリを産んで良かったって、心から思えるから!」

 

嬉しくなって私もお母さんを抱きしめ返した。

幸せだ。これまでで一番幸せだと思えた。

 

 

25:名無しさん:2023/10/10(火) 00:42:38 ID:2GPGL33s0

 

顔合わせがあってお母さんは、父親はミセリが小さい頃に病気で死別していて、と語り始めた。

何も聞かされていなかったのでびっくりしてしまった。けれどそれが社会的な体裁だという事ぐらいは分かった。

アサピーの母親はガナーさんと言って自分の息子についての来歴を淀みなく話し始めた。

曰く自慢の息子である。溺愛してここまで大切に育ててきた。大事な大事な一人息子である、と。

アサピーの着る服はガナーさんが選んで丁寧にアイロンをかけているだという。

確かにアサピーはファッションの話はしないし肩にいつもフケが溜っているので納得出来た。

 

( ‘∀‘)「この子はどこに出しても恥ずかしくないわ。 うちの跡取り息子ですもの」

 

('、`*川「えぇ、えぇ」

 

これから結婚に向けて綿密な協議を交わす事で合意がなされた。

あまりにも順調だった。お母さんの機嫌はすこぶる良かった。もう長い事お母さんの不機嫌モードを見ていない。

なんて素晴らしいんだろう。天然パーマも肩のフケを払わないのも話がどれも面白くないのも好きじゃないのだけれど、順調だ。順調。

私にとってお母さんとはこの世の全てだ。

 

いつものようにアサピーから会いたいと連絡が来た。

でも今日はガナーさんも一緒だという。じゃあ食事だけなのだろう。

ガナーさんもいるのでお気に入りの服を来て気合いを入れたメイクもして髪も巻いていった。

しかし指定された場所は喫茶店で食事をするような場所ではなくて二人の顔色は歓迎しているものではなかった。

重苦しい雰囲気を察知して私は挨拶もそこそこにして座った。

 

( ‘∀‘)「貴方の事を調べたの」

 

言うなりガナーさんは書類をテーブルに広げた。

 

( ‘∀‘)「この子と結婚する人は清廉潔白でないといけないと思ってね」

 

私の学歴は決して良くないものの、極端に悪い訳ではない。それなのにこの重苦しい雰囲気は何だろう。

 

( ‘∀‘)「この売春婦!」

 

急に叫んだガナーさんにびっくりして肩が跳ね上がった。

近くのテーブルの客がぎょっとしてこちらを見る。

 

( ‘∀‘)「興信所で貴方を調べてもらったね…出るわ出るわ! 叩けば埃が出るなんでものじゃない!

      貴方、中学生の頃から売春婦紛いの事をしているそうじゃない! いや、売春婦紛いなんかじゃない…売春婦よ!」

 

口角泡を飛ばしながらガナーさんは続ける。

 

( ‘∀‘)「あの母親だってどうも水商売くさいと思ったのよ…それがあの母親こそが斡旋しているって話じゃない!

      とんでもないわ! 親子揃って売春で生計を立てるだなんて…恥ずかしい! 汚らしい! 裏切られたわ!」

 

あぁ、やっぱり恥ずかしい事なんだ。汚らしい事なんだ。第三者に言われるとその事実は急に形を帯びてくる。

それに興信所で調べたらそんな事まで出てきちゃうんだ。きっとお母さんが上手に隠匿しているものだと思っていた。

調査されてこんなにはっきりと出てきちゃうんじゃ、もうどうしようもないじゃないか。

私は妙に冷静にガナーさんの罵声と糾弾を聞いていた。

反論のしようがない。全部真実で私が辿ってきた道だ。

 

 

26:名無しさん:2023/10/10(火) 00:43:48 ID:2GPGL33s0

 

( ‘∀‘)「婚約は破棄させていただきます。 この子にはすぐに性病検査を受けさせるわ…こんな病原菌と触れ合っただなんて!」

 

アサピーは何も言わずに俯いている。まるでアサピーが叱責されているようだ。今日も肩にフケが乗っている。払えばいいのに。

 

( ‘∀‘)「金輪際この子には近づかないで! もしこの子に性病が見つかったら損害賠償を請求するわ! あぁ汚らしい!」

 

行くわよ、と声をかけられてアサピーは立ち上がった。最後まで私には何も声をかけなかった。

性欲以外は全部母親の言われた通りに生きているのだろう。

 

でもそれって私と何の違いがあるんだろう。

 

報告しなければならない。私は憂鬱な気持ちになった。

きっとお母さんは不機嫌モードになる。ここまで順調だったのに。

でも私の力ではどうする事も出来ない。興信所まで使われてこれまでの人生を覗き見られたら反論の余地なんてない。

だって事実だ。全部事実なのだ。何も盛られていない、等身大の私の経歴なのだ。

 

駅までの道中で雨が降り出した。予報外れの通り雨。

それは一気に強くなってアスファルトに叩きつけられた。驟雨が全身を濡らしていく。

帰りたくない。私の足は止まってしまった。雨は容赦なく降り注ぐ。いっそ全部を洗い流してほしかった。

だけど鉄砲水に襲われる訳もなく、私はただ濡れて歩き出す。

 

帰りたくない。

 

ミセ*゚ー゚)リ「結婚…ダメになっちゃった」

 

('、`*川「え?」

 

帰宅してから私は順を追って説明した。話し終えるとお母さんは伏せてわっと泣き出した。

ガナーさんに糾弾された時よりびっくりしてしまった。

 

('、`*川「なんで…なんでよ! ひどいわ! あまりにもひどいじゃない! かわいそうだわ!」

 

お母さんが私の事でこんなに怒ってくれるのは初めてだ。

こんな場面だというのに少し嬉しくなってしまった。

 

('、`*川「どうしてくれるのよ!? あんたを育ててきたのに…あたしがかわいそうじゃない!」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…?」

 

 

27:名無しさん:2023/10/10(火) 00:46:27 ID:2GPGL33s0

 

('、`*川「あんたがあのマザコンと結婚したら貧乏とも別れられると思った! 仕事も辞められると思った!

     それなのに婚約破棄ってなに!? せっかく優良物件を見つけてきたのに…なんで台無しにするの!」

 

ミセ*゚ー゚)リ「でも、興信所で調べられて…」

 

('、`*川「そんなの知らない! 婚約破棄されたことが問題なの!

     やっと…やっとこの生活から脱出できると思っていたのに…っ!」

 

お母さんがむちゃくちゃに手を振り回してグラスが床に落ちて砕けた。破片が床に飛び散る。

掃除しないと、と思った意識がお母さんの絶叫に呼び戻される。

 

('、`*川「やっぱり間違いだった…! あの時、あんな事を考えなければあたしの人生はこんな惨めじゃなかった!」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…」

 

('、`*川「あんたなんか産まなきゃよかった!」

 

 

 

ミセ*゚ー゚)リ「私はどうしたら良かったんだろう…」

 

話し終えた時、私はベッドでクーの腕の中にいた。

 

ミセ*゚ー゚)リ「どうしたら良かったのか分からない、何が最善だったのか…これまでの自分が、何が正解だったのか、何も分からない」

 

離れたかった。そうして来たのがシンガポールだった。けれど予約している羽田空港行きの飛行機は明日飛び立つ。

帰って、元の生活に戻るのだろうか。身体を売る事以外に能のない自分はただ元の生活に戻るのだろうか。

泣き腫らしてお酒を呑んでいるお母さんの元に、戻るのだろうか。

 

川 ゚ -゚)「答えは出ていたじゃないか」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…?」

 

川 ゚ -゚)「お母さん…大好きで大嫌いなんだろう?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はい…」

 

川 ゚ -゚)「いいんだよ、自分の親を捨てても」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…でも」

 

 

28:名無しさん:2023/10/10(火) 00:48:35 ID:2GPGL33s0

 

私にとってお母さんとはこの世の全てだ。

嫌われたくなった。捨てられたくなかった。

なのに。

 

ミセ*゚ー゚)リ「す…捨てる…」

 

川 ゚ -゚)「捨てていいんだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「でも、お母さんは、私のお母さんで」

 

川 ゚ -゚)「そうだ。 でも君は君だ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私は…私」

 

川 ゚ -゚)「君にはまるで自我がない。 お母さんの商品であり人形だ。 自覚はあるんだろう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「…はい」

 

川 ゚ -゚)「いいかい、君の人生において主人公は君だ。 勿論、私の人生において主人公は私だ。

     皆誰しもが自分の物語の中では主人公なんだよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「主人公…」

 

川 ゚ -゚)「そうだ。 そして自分の物語の中でたとえ親でもそれは登場人物だ。

     自分という絶対的な存在からすれば親だろうと兄弟だろうと血が繋がっていようともそれは他者だ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「他者…親なのに」

 

川 ゚ -゚)「そう、他者だ。 自分という絶対的な存在においては親だろうと他者だ。 自分自身の中にまでは入ってこられない。

     自分というテリトリーは誰にも侵されてはいけない。 君だけのものだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私…だけのもの」

 

川 ゚ -゚)「それを侵略して支配しようとするならばたとえ親でもそれは敵だ。 究極的には殺すなり排除した方がいい」

 

ミセ*゚ー゚)リ「こ、殺すなんて」

 

川 ゚ -゚)「まぁ普通はそんな事はしない。 でも君は親に支配されて搾取されて生きている。 だから距離を置くんだ。

     もう成人しているのだから、離れて暮らすんだ。 それだけでいい」

 

ミセ*゚ー゚)リ「離れて…暮らす…」

 

川 ゚ -゚)「そう。 君の人生は君のものだ。 誰のものでもない。 親のものでも誰か男のものでもない。 君だけのものだ。

     まずはそれを確立しなければならない」

 

 

29:名無しさん:2023/10/10(火) 00:50:57 ID:2GPGL33s0

 

ミセ*゚ー゚)リ「…出来るでしょうか」

 

川 ゚ -゚)「出来るよ」

 

私の人生。私だけの人生。

そうか、いいんだ。自分で生きてみてもいいんだ。

 

川 ゚ -゚)「こうして海外旅行に一人で来られただろう?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「パスポートは昔取った事があって…」

 

川 ゚ -゚)「でも君は一人で遠い国まで来た。 それだけ出来れば自分の意思で人生を歩めると思う」

 

ミセ*゚ー゚)リ「ありがとう…ございます…」

 

川 ゚ -゚)「ところでなんだが」

 

クーが私の髪を優しく撫でる。

 

川 ゚ -゚)「君は泣いたのか?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え?」

 

川 ゚ -゚)「聞いている限りだと君はやっぱり感情がすっぽり抜け落ちてしまっていて…未だに泣いていないような気がする」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あ…」

 

川 ゚ -゚)「それだけ糾弾されて罵られたんだ…君の心はじゅうぶんすぎるほど傷ついているんだ。 泣いたっていいんだよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「泣いたって…」

 

川 ゚ -゚)「いいんだ」

 

 

30:名無しさん:2023/10/10(火) 00:52:11 ID:2GPGL33s0

 

またクーが私の髪を撫でながら抱きしめる。何も否定しない。ただ受け止める。

そうか、私はこうして欲しかったんだ。大好きなお母さんにこうして欲しかった。

それだけだったんだ。

 

ミセ*;ー;)リ「う…」

 

最後に泣いたのっていつだろう。思い出せない。

だって私が泣いたらお母さんは不機嫌になる。私はいい子でいなければいけない。

 

川 ゚ -゚)「もういいんだよ、頑張らなくて」

 

ミセ*;ー;)リ「う…うぐううううう」

 

泣き方なんて忘れてしまった。不細工な嗚咽しか出てこない。

けれどクーの腕の中にいると溜っていたものが流れ出ていく。安心出来る。

緩やかに私の中から溢れ出していく。

 

 

 

ミセ*゚ー゚)リ「ん…」

 

目覚めると朝だった。カーテンの向こうから僅かな朝陽が漏れている。そのままクーの腕の中で眠っていたらしい。

クーの姿を探すとちょうどシャワーから出てきたところだった。

 

ミセ*゚ー゚)リ「…すっぴんも綺麗ですね」

 

川 ゚ -゚)「起きて第一声がそれか」

 

クーが苦笑いをしながら長い髪を拭く。

 

川 ゚ -゚)「もう歳だよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そんな謙遜良くないですよ…」

 

川 ゚ -゚)「謙遜じゃないぞ…私はもう四十歳だ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「…えぇっ!!!???」

31:名無しさん:2023/10/10(火) 00:53:33 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「一番の大声が出たな」

 

ミセ*゚ー゚)リ「え…えええ!?」

 

川 ゚ -゚)「宇宙人を見るような目をしないでくれ。 朝ご飯を食べに行こう」

 

身支度をして朝食をとる。私といえばむくんでいてひどい顔だった。

泣くとこうなるんだった。

 

部屋に戻ってクーが紅茶を淹れてくれる。

帰りの飛行機の時間を考えると昼前には自分のホテルに戻ってチッェクアウトをして空港行きのバスに乗る必要がある。

 

川 ゚ -゚)「まだ少しだけ時間があるか」

 

ミセ*゚ー゚)リ「そうですね」

 

川 ゚ -゚)「せっかく君が自分の話をしてくれたんだ…土産話にもならないけど、私の話をしてもいいかな」

 

ミセ*゚ー゚)リ「クーさんの」

 

川 ゚ -゚)「一人でマリーナベイ・サンズに長期で宿泊していて何の仕事をしている人なんだろうとは思っただろう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「それは図星ですね」

 

川 ゚ -゚)「まぁ私のお金ではないんだ…。 そして仕事はそうだな、やめたんだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「はい…」

 

川 ゚ -゚)「君になら話してもいい気がしたんだ…どうしてだろうな。 君は軽蔑するかもしれないし、すぐに部屋を出て行ってしまうかもしれない」

 

そうしてクーは自分の物語を語り始めた。

 

 

 

自分で言うのもなんだが私は自分のスタイルに自信があった。

地方の高校を卒業して上京してからはモデル活動なんかもしていたんだ。

ありきたりな話だけどいつかは女優として売れたいだなんて夢見ていたぐらいだ。

 

私が彼に出会ったのは二十歳ぐらいの頃だった。

長身で整った顔つきをしていて着ているものも洗練されていた。都会の男性といった感じだった。

物静かな彼は時に冷淡さを見せる瞬間もあった。私はそういうどこかミステリアスなところにも惹かれていたんだと思う。

それほど時間も掛からず彼と付き合うようになった。彼と巡る場所や店はどれも新鮮だった。

 

 

32:名無しさん:2023/10/10(火) 00:54:36 ID:2GPGL33s0

 

彼は大手の企業を経て独立していた。

そして彼が反社会的な組織に属している事を知ったのはもう少し時間が経ってからだった。

だけど彼は私が勝手に想像するような反社会的な組織に属する人間のイメージとは全く違った。

野蛮なところも血の気が多いところもなく、知的で暴力を振るうどころか声を荒げる事もない。

私はもう彼の事を随分と好きになっていたしそれは些末な事に思えた。

 

彼は自身が起ち上げた企業の発展に邁進していた。

モデル活動を少しばかりして定職に就いていなかった私はおのずと彼を手伝うようになった。

彼は多くの取引先とやり取りをしていた。接待もあった。それに私が同席する事もあった。

モデル活動をしていただけあって私は取引先の客から好評だった。

 

彼から客と寝てほしい、と言われた時はさすがに躊躇った。

それが何を意味するかは当然分かった。全てを承知した上で彼が頼んでいる事も分かった。

そして彼が何かを私に頼むのはそれが初めてだった。

 

指定された場所に赴き客と身体を交わす。

それが私の仕事になった。はじめは抵抗があった。当たり前だ。

だけど彼のためなら、その一心だった。そして功を奏したのか彼の企業は軌道に乗った。

客と接待と称して身体を重ねる回数が増えていくと業績も伸びていった。

私は自分自身の美貌に自信があったし武器だと思っていた。そしてそれは本当に強い武器として通用した。

 

反社会的な組織に属する彼の取引先にはやはり同じような反社会的な人間も多かった。

普段通り生きていれば出会わないような人間とも身体を重ねた。自分の祖母ほどの高齢の男性とも身体を重ねた。

それらの中で私は技術を身につけそれぞれの好みを把握してそれに応えた。

ただ綺麗なだけではない、その道のプロフェッショナルになろうとしていた。

 

全ては彼のためだ。

私は不幸だとは思っていなかった。

 

 

33:名無しさん:2023/10/10(火) 00:55:23 ID:2GPGL33s0

 

けれど、君なら分かるだろう、自分の身体を売るというのは自分自身を少しずつ削り取って切り売りする事だ。

削り取った自分自身はそう容易く再生しない。限りある自分というものを少しずつ少しずつ削り取って売っているんだ。

だからいつかは自分自身がなくなってしまう。そんな事にも私は気づかなかった。

 

本当は彼とはお互いを信頼しているパートナーという形以外にも繋がりが欲しかった。

欲を言えば結婚という形の証明が欲しかったし、更に欲を言えば彼との子供が欲しかった。

若い頃にはそれとなくその気持ちを伝えた事もある。彼はいつものように静かに首を振るだけだった。

 

彼とセックスする時、彼は必ず避妊具をつけた。それは徹底していて彼の意思の強さを垣間見えた気がした。

一度だけ過去に失敗した事がある、と彼が漏らした事がある。その失敗が具体的に何だったのかは分からない。

ただその過去の失敗が彼を半ば意固地にさせた気もする。

 

いつかは、いつかは叶うかもしれない。私はそう考えるようになった。

これだけ尽くしているという自負はあったし、お互いを信頼しているパートナーだ。

いつかはその時が来る事を願っていた。

 

三十代になってかつての同級生たちが家庭を持って子供を産んでいくのを横目に私は客と寝ていた。

彼の企業は随分と大きくなったし彼の属する反社会的な組織も呼応するように大きくなった。

私は熟練の娼婦のようなものだった。ただひたすらに彼に尽くしていた。それほどに彼が好きだった。

 

 

34:名無しさん:2023/10/10(火) 00:56:17 ID:2GPGL33s0

 

そして私は四十歳になった。私は我慢をしすぎたと気づくのに時間が掛かりすぎた。

まだ私は美しい。しかし身体は緩やかに老い始めていた。その事が私を焦らせた。

だから彼を試すつもりだった。従順だった私が初めて彼に反抗するのだ。

 

この仕事を辞めたい、と彼に申し出た。

 

彼の反応が見たかったのだ。引き留めるのか、労ってくれるのか。

しかし彼はそれなら丁度良い、と言った。丁度良い、と私は訊き返した。

 

結婚したい女がいるんだ。彼女に今度から任せよう。

 

二十代の若い女だという。前々から交際していて結婚をしようと思っていたと彼は語った。

私はなんと返事をして帰ったのかはあまり覚えていない。ただ私は冷静だった。

ぐちゃぐちゃになった感情が爆発するような事も彼に縋り付く事もなかった。

感情がすとん、と落ちた気がした。落ちた気がして私は気がついた。何も残っていない。

 

結婚適齢期も出産適齢期もとっくに過ぎた。定職にも就いた事はなく肝心の女としての価値ももう残りいくらか。

そして私から彼という存在を取り上げてしまうと、何も残らないのだ。

あぁ、それなら仕方ないか。私は納得してしまった。

仕方ない。

 

そうして私は準備を整えて食事だと称して彼と会い最後だからとホテルに誘った。そしてベッドで包丁を彼に突き立てた。

元々女優を夢見ただけあって殺意も包丁も隠し通してそれを成し遂げた。彼は怒る訳でもなく苦痛に歪む訳でもなくただ驚いた顔で死んでいった。

まさか自分が刺される訳がない、そんな顔だった。

 

私は彼のお金を自分の口座に移して日本を発った。

 

 

 

川 ゚ -゚)「そして私はここで緩やかに死を待っているんだ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「死を…待っている?」

 

川 ゚ -゚)「あの組織が重要な人間を殺されて黙っているはずがない。 必ず私を始末しに来る。

     警察に彼の死体を発見させるような事はしないだろうし、自分たちで動くだろう」

 

 

35:名無しさん:2023/10/10(火) 00:58:03 ID:2GPGL33s0

 

ミセ*゚ー゚)リ「だったら…もっと逃げればいいじゃない。 他の国とかに」

 

クーは首を横に振る。

 

川 ゚ -゚)「どうせいつかは追いつかれるんだ…だからこの楽園みたいな国は私にとって人生のロスタイムみたいなものなんだ。

     もう生への執着もなくなってしまった。 だって自分には何も残っていない。 空っぽなんだ」

 

それに、とクーは続ける。

 

川 ゚ -゚)「彼を殺した事は何一つ反省どころか後悔もしていない。 法の裁きを受けるつもりもない。

     だけど一人の人間を殺したっていう事実は変わらない。 だから報いは受けるつもり」

 

クーが手を広げて、顔を覆った。美しい手だ。その美しい手が包丁を突き立て血と脂で濡れたなんて想像出来なかった。

 

川 - )「…軽蔑したかい?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「いや、その…現実感がないというか」

 

川 - )「私は殺人犯だよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「…でも」

 

私はクーの手を剥がして握る。

 

ミセ*゚ー゚)リ「この遠い国で私を救ってくれた…勇気をくれたのは紛れもなくクーさんです。 だから私は、クーさんと会えて良かったって思ってる」

 

 

36:名無しさん:2023/10/10(火) 00:59:11 ID:2GPGL33s0

 

川 ゚ -゚)「…参ったね」

 

クーが笑う。弱々しい笑顔だ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「またいつか、会えますか」

 

川 ゚ -゚)「いいや、会えないだろう」

 

ミセ*゚ー゚)リ「でも私は忘れませんよ」

 

川 ゚ -゚)「ありがとう」

 

 

 

そのニュースを見たのは帰国してから一ヶ月ほど経ってからだった。

ニュース番組のアナウンサーが主要なニュースを読み上げたあと、この先はAIがニュースを読み上げると説明した。

主要ではないニュースをAI音声が淡々と読み上げる。少し人工的ではあるものの本物とそれほど遜色ない気がする。

自分の仕事を奪うものを紹介するってどんな気持ちなんだろう、と考えているとそのニュースは唐突に訪れた。

 

シンガポールで邦人女性死亡 殺人事件か

 

そんな見出しと共にAI音声がニュースを読み上げる。

シンガポールのガーデンズ・バイ・ザ・ベイで日本人女性の死体が発見されたという。

顔写真こそないもののテロップで表示された名前はクーのものだ。

激しい暴力を受けていてこれほど凄惨な事件は見た事がないという現地警察のコメントも付け加えられていた。

現地警察は被害者が何らかの事件に巻き込まれたと見て、慎重に捜査を進めるとしています。

その言葉でニュースは締めくくられ次のニュースへ移った。

 

 

37:名無しさん:2023/10/10(火) 01:01:03 ID:2GPGL33s0

 

クーは死に追いつかれたのだ。

暫くその場を動けなかった。だけど私は動かなければならない。そのために帰国してから準備してきたんじゃないか。

今だと言われている気がした。動くんだ。

 

 

 

ミセ*゚ー゚)リ「お母さん、話があるんだけど」

 

('、`*川「…なに?」

 

婚約破棄以降、お母さんはすっかり塞ぎ込んでしまった。

お酒を呑む日が増えて物に当たる事も多くなった。

不機嫌モードがずっと続いているようなものだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「私、ここを出て行こうと思うの」

 

('、`*川「…はぁ?」

 

単刀直入に切り出すとお母さんは素っ頓狂な声を上げた。そんな事を言われる事など想像もしていない、そんな感じだ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「あのね、今の生活を続けていたくないんだ。 私はこのままだともうどこにも行けなくなる。

      私は自分の人生を生きたいんだ」

 

('、`*川「自分の人生ってなにをいまさら、婚約破棄されておかしくなったの?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「自分で何かを選択したいの。 自分で考えて、自分で選択して、それを後悔したり喜んだりしたい」

 

('、`*川「なに言ってるの? あのね、今まで育ててきたのはあたしよ? まずはそれに感謝するべきじゃないの?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「今まで育ててくれた事は感謝しています。 でも私の人生は私のものなの。 やっとそれに気づけた」

 

('、`*川「あんたはあたしが産んだの! あたしの子なの! それなのに」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私の人生は私の人生だよ。 お母さんのものじゃない。 私はお母さんの商品でも人形でもない」

 

('、`*川「は…」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私の人生においてお母さんはお母さんという登場人物でしかないの」

 

 

38:名無しさん:2023/10/10(火) 01:02:47 ID:2GPGL33s0

 

('、`*川「…あのね、ミセリ」

 

私は身構える。

 

('、`*川「お母さん、嫌いになっちゃうよ」

 

それはまさに呪詛だ。呪詛だった。私を長い間縛り付けていた。

でもそれはもうただの効果のない魔法の呪文でしかない。

 

ミセ*゚ー゚)リ「違うよ、お母さん」

 

私は首を振る。用意してきた言葉だ。

 

ミセ*゚ー゚)リ「私がお母さんを捨てるの」

 

('、`*川「え…?」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私がお母さんを捨てるんだよ。 今まで育ててくれてありがとう。 でももう私はお母さんを捨てるね。

      もうこれ以上お母さんといると私はどんどんダメになる。 だからお母さんから離れるの」

 

お母さんは暫く呆けていた。そして俯いて、ため息をついた。

 

('、`*川「そう…あんたもあたしを捨てるの」

 

ミセ*゚ー゚)リ「私も?」

 

('、`*川「別に…あんたはやっぱりあの男の子供だわ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「あの男って…私のお父さんって事?」

 

('、`*川「そうよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「最後にお父さんの事を教えてもらっていい?」

 

 

39:名無しさん:2023/10/10(火) 01:04:31 ID:2GPGL33s0

 

('、`*川「まぁ、もういいか…。 あの男はクズだったんだよ」

 

ミセ*゚ー゚)リ「クズ」

 

('、`*川「あの男は自分で会社を作ってあたしを客と寝かせてたの。 接待だなんて言ってね。 そうやって客をとって会社を広げようとしていた。

     あたしもあの男のことが好きだったから…反社のヤバい奴とも寝た。 でもあの男は冷淡であたしをモノとしか見てないんじゃないかって怖かった。

     だから今日はだいじょうぶな日だからって嘘ついてあんたを妊娠した。 これで安心できる、きちんとした繋がりでできたって思った。

     …でもあの男はあたしをあっさり捨てた。 それにあたしより若い二十歳ぐらいの女を見つけてきてまた接待させてた。 それはもう、綺麗な女だったよ。

     妊娠して接待できないあたしはお払い箱。 どう? これがあんたの父親。 クズでしょう」

 

あの南国特有の生暖かい風とベッドに残っていた体温を感じた気がした。

 

ミセ*゚ー゚)リ「多分だけど、お父さんもう死んでるよ」

 

('、`*川「は? なんでそんなこと…でもあんなクズ、死んで当然」

 

ミセ*゚ー゚)リ「でもお父さんがしてきた事とお母さんがしてきた事って何が違うの?」

 

お母さんは口を閉じた。むっつりと、機嫌を損ねた子供ように黙り込んだ。

 

キャリーバッグだけで私の荷物は完結した。アパートを出てスマートフォンを取り出した。

フォルダから写真を開く。インフィニティプールで撮ったクーの写真。あまりにも綺麗だったその顔。

 

クーさん、ちゃんと出来たよ。私は自分の足で自分の人生をこれから生きていくよ。

だから見ていてほしいよ。こんな自分がたった一人でどうやって生きていくのかを。

 

お金を貯めていつかまだシンガポールに行こう。もうそこにクーはいないけれど彼女と歩いた場所をもう一度巡ろう。

存在が抹消されたとしても私は彼女の事を忘れはしない。私だけは覚えている。

遠い国で死んだ彼女の事を、私はいつまでも覚えている。

 

 

 

ミセ*゚ー゚)リ遠い国で死んだようです

 

 

40:名無しさん:2023/10/10(火) 01:10:57 ID:2GPGL33s0

 

マリーナベイ・サンズの最寄り駅はマリーナ・ベイ駅ではなくベイフロント駅です。

インフィニティプールは宿泊者のカードキーが一人一枚ずつ入場の際に必要なので来客者は入れませんのでご注意下さい。

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